よい子のやめ方〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

昔の彼氏を検索してしまう

早起きして掃除してたら、

 

大学のときの彼氏と

 

海外旅行した写真が出てきて

 

一向に掃除がすすまない。

 

 

 

アフリカに途上国支援に行った彼氏。

 

今はどうしているのか全然知らない。

 

 

懐かしくなって、昔使ってたSNS

 

彼氏の名前を検索しまくってしまった。

 

 

 

 

私が大学生の時はmixi全盛期で、

 

海外に留学した人たちは

 

みんなFacebookやりだした頃。

 

まだインスタは流行ってなくて

 

スマホも持ってなかった気がするなあ。。。

 

 

 

 

私は大学生のときの自分が一番好きだった。

 

自分の身の回りのものが 

 

全部キラキラして見えた。

 

 

 

大学のときに付き合った彼氏は

 

途上国支援の仕事をするんだと

 

高い目標をもっていて、

 

そんな姿にひかれて私から告白した。

 

 

自分も、彼氏と一緒に

 

途上国支援の仕事がしたいと思ったし、

 

実際に彼氏と一緒にアフリカに

 

何度も旅行に行ったりした。

 

 

 

結局、私は日本で先生になったわけだけど、

 

彼は海外で、私は日本でがんばるんだって

 

お互い、目標に向かってがんばるんだって、

 

励まし合ったこともあった。

 

 

 

教員採用試験に受かったときは、

 

誰よりも喜んでくれた。

 

 

 

海外と日本で離ればなれになったあとも

 

mixiFacebookでやりとりして

 

毎日毎日話をして

 

お互いがんばろうね、

 

がんばってるねって言い合っていた。

 

 

 

夢がかなって、教員になって、

 

ああ、昔の自分が今の私を見たら

 

きっとびっくりするだろうな。

 

こんなに後ろ向きなことばっかり

 

言ってるのか!みたいな。

 

 

 

 

 

SNS で彼氏を探してみたけど、

 

案の定、mixiFacebook

 

ログインした形跡もないし

 

ググっても名前も出てこない。

 

途上国支援だったら、活躍してたら

 

大概NPO とかの広報で

 

名前が出たりすることもあるんだけど、

 

今の彼に関する情報は

 

まったく出てこなかった。

 

 

 

今まで付き合った人の名前を

 

ネットで検索したりすることなんて

 

なかったんだけど

 

大学のときの彼氏だけは  

 

何度も何度も探してしまう。

 

年に三回くらい、そんな気持ちになる。

 

ちなみに今付き合ってる彼氏を

 

ネットで検索したことはない。

 

 

 

過去の彼氏にこだわるのは、

 

そのときの自分が私の黄金期だからだ。

 

自分が好きな自分でいられたときに

 

出合った人、行った場所、友達は

 

自分の中で特別なものになってしまう。

 

全部全部美化されて、

 

あのときのものは

 

全てが素晴らしかった気がしてくる。

 

おじさんが高度経済成長の話をするみたいに

 

昔は全部よかったような気がしてくる。

 

 

 

 

今から冷静に考えたら、

 

途上国支援に行った彼氏とは  

 

日頃からケンカも絶えなかったし、

 

自分も途上国支援に興味のあるつもりいたけど、

 

本当は彼氏に好かれたいから、とか、

 

途上国支援って言ってると

 

なんかカッコいい人みたいだから、とか、

 

チャラチャラしたカップルじゃなくて

 

私たちはタフで一風変わったもの同士で

 

仲間 兼 パートナー なんだって

 

思いたかっただけな気もする。

 

私は英語も話すの苦手だし、

 

異文化の人たちと

 

コミュニケーションとるのも苦手だし、

 

海外でハッキリモノを言う人たちと 

 

働くなんて、気弱な自分には  

 

向いてないだろうな。

 

日本の高校生にすら

 

気持ちを翻弄されるくらい

 

メンタル弱いんだから。

 

 

 

「見られたい自分」にこだわってたけど

 

本当に自分はそれがしたいのか?

 

と言われると、そうでもなかったんじゃないかな。

 

 

キラキラした彼といると、

 

人見知りで行動力もなくて

 

頭もあんまりよくない自分でも

 

特別な人間になれた気がして、

 

引き上げてもらえた気がして、

 

新しい自分になれる気がして、

 

無理に好きじゃないことも

 

知らず知らずのうちに

 

好きなふりをしてきた気がする。

 

 

 

 

30越えて、ようやく、

 

自分が思い描く「カッコいい自分」と

 

「好きなことしてリラックスしてる自分」が

 

あまりにもかけ離れていたことに

 

気付き始めてる。

 

その差に少し呆然としている。

 

 

 

写真に彼氏と映る私は、

 

まさに「見られたい自分」と

 

「好きなことしてる自分」が

 

一致してると思い込んで疑わなかった時期。

 

 

 

今ならもうしないような、

 

弾けるような笑顔と

 

テンション高めのポーズで

 

写真の私は本当に幸せそうだ。

 

 

 

別れてからも何度か連絡をとって

 

やり直したいと泣きわめいたけど

 

もとに戻ってくれなかった。

 

 

 

 

きっと私は

 

彼が好きだから戻りたいんじゃなくて、

 

キラキラした過去の自分を

 

取り戻そうとして

 

彼に執着しているんだと思う。

 

適応障害になって

 

夢を叶えて先生になったのに、

 

担任したくないと駄々をこねてる

 

情けない自分は、本当の私じゃなくて、

 

日本でぬくぬく暮らしてる

 

普通の人間が私なんじゃなくて、

 

 

 

途上国支援のために

 

あえて快適な日本の生活を捨てて

 

海外で活躍する私が

 

本当の私なんだって思いたいから、

 

現状に不満があると

 

デキない自分を直視したくなくて

 

理想の自分のイメージに逃げてしまう。

 

 

元彼は、その逃避に利用しているだけなんだ。

 

 

だから、今の情けない自分を

 

受け入れるか、肯定するか、認めるかしないと

 

根本の問題は解決しないんだって、

 

言い聞かせている。

   

 

 

だから、私は婚活までして

 

今の穏やかな彼氏を選び、

 

身の丈に合った恋愛、結婚をしようって

 

決めたんじゃないか。

 

 

 

ああ、掃除に戻ろう。

 

 

この決断でよかったんだって、

 

思うようにしたい。

 

 

 

 

自分のイライラしそうなポイントを押さえて回避する

待ち合わせが苦手だ。

 

時間を合わせてその場所につくのが

 

とても苦手で、いつもギリギリか 

 

1時間前につくか、

 

極端なかたちになる。   

 

 

だから、午前出張、午後授業とか

 

そんなスケジュールだともうだめだ。

 

 

電車にのっているときから

 

予定に間に合うのか不安で

 

常にピリピリ緊張するし、

 

うっかりそのまま本を読んだり

 

ニュースを携帯で見だしたりすると

 

そのまま乗り越し、降りる駅間違い、

 

乗り換え間違いしてしまう。

 

 

 

今日も部活のあとに

 

友達と飲み会なのに、

 

一時間も遅れてしまった。

 

 

仕事が終わってから

 

現地につくまでの  

 

時間の見通しがたてられない。

 

もう遅れそう、とわかっているのに、

 

なぜかギリギリで  

 

「あともう1枚だけコピーしよう」とか

 

変な仕事をやりだしたりして、

 

時間がなくなっていく。

 

 

今日も、あとこのプリントだけ

 

印刷してからいこう、と

 

ギリギリになって小さな仕事をして、

 

遅れてしまった。

 

 

 

LINEで、あと30分くらいでつく、 

 

とか友達に連絡するのだけど、

 

私が遅れたのは部活のせいなのに、

 

なんで私が謝らないといけないんだ、とか、

 

友達は部活も仕事もなくて、

 

土日も休みで

 

遊んでばかりいるくせに

 

なんで私が遅刻して嫌な重いを

 

しないといけないんだ、とか、

 

遅刻した嫌な気持ちを

 

まわりのせいにして

 

とてつもなくイライラしてしまう。

 

 

いつもこうだ。

 

 

だから、待ち合わせるんじゃなくて

 

「今から会おうよ」みたいな  

 

突然の誘いの方が嬉しい。

 

 

予定をたてるのは大嫌いだ。

 

 

予定通りにいかないと

 

心からイライラするし、

 

予定を守れない自分にもイライラする。  

 

それを相手のせいにするのは 

 

お門違いだとわかっているのに、

 

そうしてしまう自分にイライラする。

 

 

 

 

きっとこれは、

 

また変な完璧主義が原因だと思う。

 

 

 

本当だったら、  

 

みんなと余裕をもって待ち合わせて

 

前髪の角度も完璧で

 

お店にはいる自分、

 

友達と楽しく話す時間、

 

お気に入りのコートとワンピースで

 

ゆっくり椅子に座る心地よさとか

 

そういうことを期待しているのに、

 

遅刻すると、

 

走るから髪型は乱れるし

 

コートはずれるし

 

化粧も適当だし、

 

時間におくれて私だけ知らない間に  

 

友達の会話が進んでるし、

 

期待したものが

 

すべて達成できないことに対する

 

イライラが爆発しそうになる。

 

 

 

きっと、私、高校生だったら、

 

不登校になったとき、

 

先生や友達に

 

「二時間目からでいいからおいで」

 

とか言われても、

 

そんな中途半端な登校、

 

完璧じゃないからいやだ!とか言って

 

結局不登校のままになるタイプだろうなあ。

 

 

じぶんの未熟なところ、

 

納得のいかないものをさらすくらいなら、

 

全部なかったことにしたい。

 

 

 

 

だから、遅刻すると

 

人一倍イライラするんだろうな。

 

 

 

最近気を付けてるのは、

 

例え遅刻したとしても

 

言い訳しないこと、

 

焦らないこと、

 

着く時間を相手に伝えること、

 

「これはたかが遅刻なんだ」と

 

言い聞かせること。 

 

 

 

 

そうすると、必要以上にイライラしなくなる。

 

 

 

 

 

終わったあとでわかること

高校なんて行かずに

 

世界一周でもしたらいい。

 

大学なんて行かずに、

 

一度働いてみたらいい。

 

就職なんてせずに

 

海外でワーホリでもしたらいい。

 

一つの企業にしばられずに

 

転職したらいい。

 

 

 

これは、一度経験したから言えること。

 

 

 

私の学校でも、

 

ダンスを極めたいから、

 

スポーツをもっとやりたいから、

 

芸能活動をしたいから、

 

海外にいったり、

 

大きな大会に向けて学校を休んだり

 

テレビの仕事に出てみたり、

 

まわりと違う生き方をする生徒がいる。

 

高校中退してでも、

 

その生き方を貫きたい生徒がいる。

 

 

 

私が高校の頃は、

 

そんなこと考えたともなかった。

 

高校中退や留年なんて

 

ドラマだけの世界だと思った。

 

だから、そんなことしちゃいけないと思った。

 

 

今は、大人になったからわかる。

 

31歳になったからわかる。

 

 

高校とか、大学とか、

 

そんなの考えられないくらい

 

夢中なものに出会ったら、

 

いや、夢中じゃなくても、

 

自分に学校が合わないと思ったら、

 

好きなように生きたって  

 

そんなに人生に支障はないよ。

 

一方、いい高校、いい大学に行くことは

 

自分で人生を切り開く力が  

 

そんなになくても、

 

まわりがいろいろ教えてくれるから

 

取り柄がそんなになくても

 

平均的な生き方ができるという

 

メリットもあるよ。

 

 

 

 

今、私は31歳だからこう言える。

 

 

たぶん、80歳になった私が  

 

今の私を見たら、似たようなことをいいそう。

 

 

仕事のひとつや二つ、

 

変わったってどうってことないよ。

 

 

 

 

そういってくれるのかな。

 

 

いやいや。

 

病気にもなるから、

 

やっぱり、貯金大事だよ。

 

公務員って、すごくお得だよ。

 

 

 

そんな諭し方をするのだろうか。

 

 

 

 

大嫌いな生徒と今日も少し話した

感情にまかせて怒鳴ってしまった、

 

例の男子生徒。

 

今日も、彼と話す機会があった。

 

ぎこちなくはあったけれど、

 

彼は笑いかけてくれた。

 

ふう。

 

何かに許されて生きている、

 

という気がする。

 

まわりの人たちに、  

 

私の恐ろしい失敗も

 

(他人がしたら到底許せない失敗も)

 

誰かに許してもらうことで

 

なんとか今日も生きた。

 

 

一日一日、なんとか生きてる。

 

 

ちゃんと今日も「助けて」って言えた

今日は部活の日。

 

テスト明けで生徒もずいぶんと

 

やる気がなく、だらだらしている。

 

 

だらだらしている人たちを

 

締めるのはとても苦手だ。

 

部活という、

 

自主性にまかされたものにたいして

 

怒ったり注意したりしないといけないのは

 

すごく大変だ。

 

 

でも今日は、いろんな先生たちや

 

外部コーチが練習を見に来てくれて

 

いい雰囲気作りができた。

 

 

 

まわりに親の病気のことを相談してから、

 

誰かがちゃんと助けてくれる。

 

 

 

よかった。

 

ちゃんと、助けてってまわりに言えて

 

本当によかった。

 

まわりを頼るスキルは

 

ずいぶん3年前に比べて 

 

上達したなあと思う。

 

私、がんばったなあ。

 

 

それを誰かに言いたくて、

 

親に電話する。

 

病気のことを気遣う電話をしつつ、

 

本当は、

 

助けてって言えるようになったことを

 

報告したくて、それを誉めてもらいたくて

 

電話をする。

 

 

まわりから助けてもらう力。

 

自分から助けを求める力。

 

 

それがたくさんついてよかった。

 

 

今は、「親が病気」という

 

外部からの要因で助けを求めているけど、

 

指導力がない」とか

 

「生徒対応ができない」とか

 

自分の能力が低い

 

私自身が原因となっていることでも

 

どんどん助けを求めていけるようになりたい。

 

 

この間、生徒を怒鳴ったときみたいに、

 

自分の失敗のことも、正直にまわりに話して  

 

助けてもらえたから、

 

以前より、助けを求める力は

 

格段に上がっている。

 

 

よかったよかった

 

今日は寒くて変な頭痛が止まらない。  

 

でも気持ちはさわやかだ。

 

 

 

 

 

没頭できること

いつも人からどう見られているかとか、

 

そんなことばかり考えてしまう私にも

 

唯一なにも考えなくていい時間がある。

 

それは、本を読んでいるとき。

 

小さいときから小6まで

 

親から本の読み聞かせをされてきたせいで

 

過剰なほどに共感力が育ったと

 

ひそかに思っている。

 

 

くらい本を私が好むこともあって、

 

経験してもいないのに

 

結婚や出産や介護や子育てや老い

 

そんなことに、悲観的になって

 

勝手に社会に絶望するくらい

 

無駄なほどに神経が研ぎ澄まされることもある。

 

 

だから、個人的には

 

こどもへの絵本の読み聞かせは

 

ほどほどにして、一緒に

 

野原でかけまわったりしたほうが

 

頭でっかちな子供にならないような

 

気がしている。

 

 

 

高校のときに教科書で

 

夏目漱石のこころを読んでから、

 

くらい感情をぴたりと表現している本に

 

ずいぶん感動してしまってからは、

 

太宰治とか桐野夏生とか

 

人生のくらい部分ばかりを

 

なめるような本ばかり読んできてしまった。

 

 

最近は西加奈子さんの本ばかり読むのだけど、

 

これが、読みおわったあと、

 

サッカーの試合に出たりとか、

 

マラソン走ったくらいに

 

ぐったりとしてしまう。

 

 

くらい本ばかり読んでしまうせいで

 

私のなかには過剰な自意識や

 

世の中への絶望を先取りしてしまうクセが

 

さらに強化されてしまったように思うし、

 

そろそろそういう本からは卒業したいのだけど

 

やはり人生のくらい部分を

 

怖いもの見たさで覗いてしまう。

 

 

 

私はいつもいつも

 

自分の自意識やネガティブさに

 

振り回されて翻弄されて

 

本当に疲れてしまうのだけど、

 

くらい本を読んでいるときは

 

ものすごく安心できる。

 

先をみたい、次を読みたい、

 

その気持ちが押さえられなくて

 

むしろ文章をとばしてしまうくらい

 

ページをとばしてしまうくらいに

 

先を観たくて大急ぎで本を読むとき、

 

心から没頭できる。

 

 

 

自分のくらさに振り回されるけれど、

 

くらい本に出会って、自分のくらさを

 

代弁してくれるような表現に出会う、

 

その瞬間の嬉しさを味わいたくて、

 

よりいっそうくらい本を求めてしまう。

 

そして、くらい本を読むときが、

 

一番自分が興奮して、

 

集中して、

 

食べ物も飲み物もいらないくらい、

 

何かに没頭できる、

 

本当に数少ない時間だ。

 

 

 

自分のくらさや

 

ネガティブさをうっとうしく思う反面、

 

そのくらさによって

 

出会える本があったことが

 

とても嬉しく思う。

 

 

 

とりあえず今日は本を読みすぎて疲れたな。

 

仕事を辞めたら、毎日本が読みたい。

 

本を読むと現実に戻るのに

 

ちょっと時間がかかるので、

 

仕事の心配なんかせずに

 

いくらでも本が読める生活が

 

早くできるようになりたいな。

 

気が遠くなるけど。今日のできたことを、書く

教科の先生や副顧問たちに

 

仕事のお願いをした。

 

授業の自習監督、

 

部活の割り当て、

 

体育館の係分担、

 

出張の代わり。

 

 

親を気遣う気持ちでいたいけど、  

 

実務的なことの段取りも

 

同時につけていかないといけない。

 

 

今の私には気が重い。

 

 

役割を、特に部活の役割を

 

まわりに分担するのに、

 

非常に気疲れした。

 

でも若い先生がキビキビと動いてくれて

 

なんとか、分担も終わった。

 

 

こういうときはやっぱり優しい人に

 

しわよせがいってしまう。

 

ごめんね。ごめんね。

 

そう思いながらも、若いその先生に

 

いつもいつも助けられる。

 

 

辛い仕事をするのは、

 

割りを食うのは、

 

困ったときに助けてくれるのは、

 

いつも若い先生だ。

 

 

日本の若者は、社会人は、

 

本当に効率もよくうまく立ち回ってくれる。

 

優しいから、誰もやりたくない仕事が

 

彼らに回ってくる。

 

嫌な顔一つせずに、請け負ってくれる。

 

優しい人の善意を奪いながら

 

楽をしている自分にもつらくなる。   

 

面の皮の厚い人間に仕事を頼むのなら

 

まだしも、

 

若くて優しくて文句も言わない人の 

 

善意に甘えて、善意を食い潰して

 

犠牲を強いているのが申し訳ない。

 

 

 

ずいぶん頭痛がする。

 

目の奥がギリギリと引き絞られるような

 

身体中が強ばるような頭痛。 

 

 

 

急に悲観的になったり、

 

でもなんでもないことなんだ、と

 

急に楽観的になったり、

 

がんのことを調べてみたり、

 

普通にテレビでお笑いを見ていたり、

 

気持ちがぐらぐらする。

 

 

がんの情報を頭に入れても

 

全然実感がわかない。

 

 

これから、どうなるんだろう。

 

私たちはどうなるんだろう。

 

 

 

とりあえず、

 

まわりの先生たちに

 

仕事を任せることができたのは

 

私にとって大きな進歩だ。

 

ちゃんと紙に書いて、

 

実務的なことを箇条書きにして、

 

いつからいつまで休むから

 

その間、これとこれとこれを

 

誰かやってくれませんか。

 

 

自分でも、効率よく、無駄なく、

 

同情もかいながら、

 

戦略的にみんなにお願いできたと思う。

 

 

 

一方で、

 

冷静に親の病気で同情をかいながら

 

仕事を頼みまくる自分の戦略に 

 

心が冷たい人間だなあ、とも思う。

 

 

取り乱すこともなく、

 

あくまでも冷静に

 

まわりから協力をいかに上手に得るか、

 

そんなことばっかり考えてる。

 

 

 

1日が終わるとどっと疲れる。

 

 

 

予想外のことが

 

これから山のように起こるんだろうか。

 

私にやれるだろうか。

 

まわりとも仲良くして

 

自分も気持ちよく仕事して

 

家族のことを支えていくなんて、

 

そんなことできるんだろうか。