よい子のやめ方練習帳〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

陰口言われてることって、なんでわかっちゃうんだろう

職員室に入ると、不思議な空気を感じることがある。

 

中にいた人が、私の顔を見上げる。

 

今まで 話をしていたのに、急に静かになる。

 

たぶん、私の陰口を言っていたのだろう。

 

声のトーン、ほんの少しの言葉だけで、自分のことを言われていたことがわかる。

 

 

なんでわかっちゃうんだろう。

 

わかりたくもないのに、なんでそういうことって、わかっちゃうんだろう。

 

 

今日は喉がすごく痛い。

 

毎日出張続きで、この寒いのにスーツだからパンプスはかないといけなくて、足の甲が寒いし、ジャケットはひどく肩が凝るし、学校戻ってこないと業務が終わらないからまた学校に帰って、日中連絡をしておきたかった教員はすでに退勤しているから話ができない。

 

 

なんだろう、なんだかすごく疲れる。

 

 

何も考えたくない。

 

授業も終わって、やすらかな気持ちのはずなのに、もうその楽さに慣れきってしまっていて、やる気が全く出ない。

 

 

疲れる

 

しんどい

 

 

忙しいときに生徒はくるし、外線はかかってくるし、管理職から呼び出されるし、コピー機はつまる。

 

なんだろうなあ。

この一年の変化。仮眠室で寝なくなった

こんにちは。せかい工房です。

 

今年30歳です。

高校教員をしています。

 

一昨年に転勤先で適応障害になり、半年休職して、その後復帰しました。

 

復職して、約一年が経ちました。

 

昨年の今頃、復帰するかしないか悩みに悩みながら、実家で両親と暮らしながら、友人と会ったり、ご飯作ったり、散歩したりしてた。

 

 

復帰を決めたあと、最初の授業が始まってからは、緊張と焦りで毎日動悸がしたし、勝手に断薬したせいもあってめまいがすごかった。

 

下りのエレベーターの、ひゅっと背筋が寒くなる、あれがずっと続いて自転車乗ったり歩いたりするのもつらかった。

 

 

だから、空き時間は必ず仮眠室に行った。

 

一コマ終わったら、仮眠室。

 

三コマ連続のときなんか、ヘトヘトで倒れそうだった。

 

毎日家に帰って、10時に寝て朝は7時に起きた。

 

9時間睡眠。

 

それでも、やっとやっと体が動く程度なのだ。

 

 

この一年経ってみて変わったことは、まず仮眠室に行かなくなったこと。

 

夏休みを境に、たぶん大丈夫になってきたのだと思う。

 

そして、親と毎日のように電話をするようになったこと。

 

今でも、週に2回は必ず電話をする。

 

前は辛いことがあった時に電話をしていたけど、今は嬉しいことがあったときとか、とりとめもないこととか、保護者と懇談がうまくいったときとか、そういうことも話すようになった。

 

 

つらかったり、逆に特別なことがなくても、親と話すようになった。

 

 

大切なのは、誰かがいつも話してくれる、誰かがどこかで、いつも私を見ている、いつでも、誰かに連絡がとれる、という安心感だ。

 

 

まるで自分が本当に幼い子どもみたいで恥ずかしいのだけど、わんわん泣いたら必ず誰かが来てくれる、その信頼感をもう一度私は誰かに求めている。

 

 

30歳になると、友達が次々結婚して、子供を産んで、夜中に電話をかけたり、つらい日に突然家に遊びにいったり、そういうシェルター的な場所が1つずつなくなっていく。

 

 

親から離れて、自立して、これまで積み上げて来た生活やこつこつ作って来た居場所や人間関係が、自分と違うところで少しずつ自分からなくなっていく。

 

 

それに、心がついていかなかったのだろう。

 

 

先月から、特にお母さんに電話をかけることが多くなった。

 

 

一年経って、自分でも気づかない間に疲れがたまっていたこともあったし、逆に年度末になるにつれて、授業や分掌の仕事が1つずつ終わっていく開放感もあって、余計に誰かに話を聞いて欲しくなるのだと思う。

 

 

私が最近、本当に結婚したいと思うのは、決してまわりがしているからとか、女は結婚すべきだと思っているからじゃない。(ちょっと前まではそう思うこともあったけど)

 

 

結婚したいと強く思うのは、そばにいて、私と時間を共有して、お互い、励まし合い、一方が倒れた時は、どちらかがそれを支え、それがお互い入れ替わりながら生きていく。そんな、安全保障としてのパートナーを求めているからだ。

 

 

「健やかなる時も、病める時も」

 

 

クリスチャンではないけど、この言葉の重みと深さには胸を打たれる。適応障害にならなかったら、この言葉の本当の意味はわからなかっただろう。

 

 

たぶん、入籍とか、結婚式とか、それが私の求めるものではないのだな、というふうに考えが変わって来た。

 

 

つらい夜に、一緒にこたつにはいって、隣に誰かがいて、とりとめのない話をすること。

 

 

それができたら、正直女でも男でもそうでなくても、何でもいいのだと思う。

 

隣に、人の形をしているものがあればいい、と言ったら極端だけど。

 

 

昨年の日記を読み返すと、胸が震える。

 

こんな緊張の中で、よく生きてたな。

 

こんなガチガチの自意識の中で、よく一年生き抜いたな。

 

えらかったな。

 

仮眠室もいつしか行かなくなったし、分掌でも大きな仕事を任されることもあった。

 

もちろん、お荷物人間として今年はスタートしたけれど、お荷物なりに貢献できたことはそれなりにあったし、何より授業を最後までやったんだ。

 

バッターボックスに立ったんだ。

 

あたし頑張った。

 

 

仕事から帰って来て、授業のプレッシャーから解放された実感がなくてふわふーしてたけど、こうして自分に手紙を書くように、1つずつ感じたことを言い聞かせていると、涙がたくさん出て来た。

 

何万人もの人に、1人ずつに言って回りたくなった。

 

わたし、3学期までやったよって。

 

この事の重大性は、わたし自身にしかわからないことだから、今日は自分でたくさん自分をねぎらって、思い出にひたろうと思う。

 

今はアイス食べて、漫画読んで、煮物を作りながらブログも書いている。

 

なんて平和なんだろう。

 

 

ヒット

こんにちは。せかい工房です。

 

今年30歳です。

高校教員をしています。

 

一昨年に転勤先で適応障害になり、半年休職して、その後復帰しました。

 

今日で、苦手な単元が終わりました。

 

あとは、ドリルやらせたり、過去問解かせたり、もう私が何かを用意することはありません。

 

 

とりあえず、授業と呼べる授業は今日で終わりです。

 

 

長い、長い一年でした。

もう終わりが来ないんじゃないかと思いました。

 

 

でも、ちゃんと一年は経っていて、私は1つ歳をとって、授業プリントも一年分の厚みが出た。

 

もう、授業プリントを作ることもない。

 

 

最後の授業、話していて、自分でも、生徒たちに伝えたかったことは言えたと思うし、みんなそれに応えてくれたように思う。

授業が終わった後、生徒の数人が、1年間ありがとうございましたって言ってくれた。

 

 

バッターボックスに立って、今日、私はヒットを打ったんだ。

バッターボックスに立って、試合が終わるのを見届けることができたんだ。

 

 

去年はできなかった、「3学期まで授業をする」ことが今年はできたことが嬉しくて、でもそんなこと当たり前すぎて誰にも言えないから、1人ハーゲンダッツを帰りに買って食べることにした。

 

 

金曜の夜、飲みに行く相手もいない。

 

1年間勤めたことの重みを共有できる相手もいない。

 

それでも、気持ちは満たされている。

 

大きな一仕事を終えて、胸が安らいでいる。

 

そうか、達成感ってこれか。

 

なんか久しぶりに味わうな。

 

もう授業がないと思うとホッとして、今まで緊張してて食べられなかった朝ごはんを、明日からは食べようと思う。

 

 

平日に朝ごはんを食べて出勤するという楽しみができた。

 

パン屋さんで、いい食パンを買って、スーパーで卵とベーコンを買った。

 

明日から、朝ごはんを作る。

 

朝ごはんを朝に食べられるって、幸せなことだなあ。

 

明日は土曜日だ。

 

最高だ。

 

 

バッターボックスにたつ

こんにちは。せかい工房です。

 

今年30歳です。

高校教員をしています。

 

一昨年に転勤先で適応障害になり、半年休職して、その後復帰しました。

 

 

私の苦手な単元、明日終わります。

 

ぼろぼろの授業で落ち込んで、でもなんどもトライすることが大事なんだって、自分に言い聞かせて、明日最後のバッターボックスに立ちます。

 

その後の授業はほとんどドリルやらせるだけの時間になるので、明日が私にとって最後の打席です。

 

大事なのは、成功するかじゃなくて、

バッターボックスに立ち続けること。

 

100パーセントのクオリティにこだわるのではなく、ある程度のハードルをクリアしたら、あとは数をこなすこと。

 

極端に言うと、ある程度のハードルをクリアしていなくてもいい。

 

とにかく、バッターボックスに立つこと。

 

そう考えると、ずいぶん気持ちがラクになりました。

 

明日も気負わずに、打席に立てますように。

 

 

家族の標本 それでも育てる

こんにちは。せかい工房です。

 

今年30歳です。

高校教員をしています。

 

一昨年に転勤先で適応障害になり、半年休職して、その後復帰しました。

 

 

家族とは不思議なコミュニティです。

 

私は今、姉が不登校、生徒本人が発達障害、お父さんが統合失調症、そしてお母さんもメンタル少し弱めという家族と関わっています。

 

 

最近お姉さんの家庭内暴力がひどいとのこと。

 

家族誰にも止められず、その攻撃の矛先はお母さんに行くという。

 

 

それでも、お母さんは会社へ行き、家族の弁当をつくり、ご飯をつくり、生きている。

 

お父さんも会社に行く。

家に帰ると、娘が母親を殴っている。

娘の暴力を止められないまま呆然と立ち尽くす。

そして、娘は気がすむまで母親に暴力をふるってから、夜の2時に家族は眠りにつく。

そして、お母さんとお父さんは朝起きて会社にいく。

 

 

すごい家だ。

 

でも、こんな家、珍しくもない。

 

教員をやっていたら、いろんな家族に出会う。

 

もうね、ほぼ母子家庭か父子家庭がほとんどの学校だからね、両親そろっていたら、どっちが2人目のパートナーだろうって考えるのよ。

 

と、隣の席の先生が言ってた。

 

 

両親がいる家族のほうが少数派で、いたとしても母親の彼氏か、父親の彼女ということだ。

 

 

家族は本当に不思議だ。

 

私なんて転勤して半年でぶっ倒れるくらいだから、家庭内暴力をふるう子どもを育てながら働くなんて、想像もできない。

 

いや、普通の反抗期の子どもを育てるのも無理だと思う。

 

反抗期なら終わりはあるが、家庭内暴力や引きこもりや発達障害は、時間がたてば解決したり改善するものではなくて、適切な対応やトレーニングが求められるものだ。

 

 

働きながら、みんなそんな家庭で生きているのだ。

 

 

信じられない。

 

私が子どもをもつなら、子育てを外注する機関が必要だ。

 

 

なにもかも家族でやろうとするから無理が出るんだ。

 

家族と学校の他に、子育てしてくれる機関ってないのかな。

 

 

 

書くことで自分を保つ

こんにちは。せかい工房です。

 

今年30歳です。

高校教員をしています。

 

一昨年に転勤先で適応障害になり、半年休職して、その後復帰しました。

 

今日は朝イチで授業があって、私の一番苦手なクラスで一番苦手な単元で、スライドを写そうと思っていたら機械が動かず、滑舌も悪く、生徒も寝る、と散々な授業でした。

 

私の大の苦手な単元。

 

去年と同じ授業をもっているんですが、今日やったところは、ちょうど休職中に別の先生にやってもらっていたところだったので、私が教えるのは初めての部分でした。

 

 

自分には才能がないんだ、

知識もないんだ、

と言いつつ努力もしないし、

いつも悩んで行動しないし、

もう6年目なのに、

もう30歳なのに、

私はダメだダメだ。、、

 

 

昼過ぎくらいまでうじうじ悩んで午後の出張に出ました。

 

 

歩きながら、ふと考えました。

 

 

いやいや、6年やってるけど、この学校で、うちの生徒に、この単元を教えるのは初めてなんだ。

 

30歳だけど、初めてのことなんだ。

 

初めてのことは失敗する。

 

機械だって、壊れる時もある。

 

仕方ない。

 

つまらない授業だったけど、はたして世の中につまらない授業をしない人なんて、いるだろうか。

 

毎日自分の授業に納得している人なんているだろうか。

 

 

ホリエモンの言葉を思い出す。

 

 

大事なのは、バッターボックスに立つこと。

 

空振りしても、三振しても、バッターボックスに立ち続けること。

 

プライドが高い人は、失敗したら恥ずかしくてバッターボックスに立てなくなる。

 

すごい奴は、失敗しても恥ずかしがることなくバッターボックスに立ち続けて、打ち続けるから成果を出す。

 

すごいやつは、失敗しないやつじゃなくて、失敗しまくってもなおバッターボックスに立つやつなんだ。

 

 

授業は毎日チャンスがある。

 

バッターボックスに立ち続けることができる。

 

 

今日の1時間が失敗しても、誰か死ぬわけでもない。

 

数人の睡眠時間が増えて、私のカロリー消費が増えた。

それだけのことだ。

 

そう言い聞かせて、出張に出た。

 

 

 

私はまだまだネガティヴで無駄に真面目で切り替えのできないプライドの高いよい子だから、不安になったときにこうやって再確認する。

 

 

無駄に考えすぎてないか?

 

自分で自分をいじめてないか?

 

そんなに大したことじゃない、大丈夫だよって、客観視できるように日記に書く。

 

 

 

こうやって、文字にして、言葉にして、そしてそれを誰かが読んでくれているということで、自分を保っている。

 

 

少しずつ、認知療法みたいに、自分の考え方のクセを軌道修正していく。

 

 

 

出張が終わってから帰りの電車をホームで待っていると、電話がかかってきた。

 

私がずっと応援して来た生徒から。

 

第1志望の大学の合格が決まったと連絡があった。

 

 

うじうじした今日の自分に、区切りがついた。

 

明日もバッターボックスに立つ。

 

大事なのは立ち続けることだから、まずはバットを振ること。

失敗したら、そのときはまたそのときに考えよう。

 

明日も、気負わずにバッターボックスに立てますように。

 

 

 

 

 

今日はがんばった。私がんばった

こんにちは。せかい工房です。

 

今年30歳です。

高校教員をしています。

 

一昨年に転勤先で適応障害になり、半年休職して、その後復帰しました。

 

 

今日は仕事が楽しかった。

充実感があった。

 

 

昨日、校長と面談したときに、

 

「最近は病院行ってるの?大丈夫?」

 

という話になった。

 

「復職してから通院はしてません。家族に電話したりしてよく話を聞いてもらっています。」

 

「そうかあ。いったん休職するとね、だいたい辞めちゃうんだよ。あなたが戻ってくるって決めたとき、復職届けを受理する役職の人がね、彼女戻ってこれてよかったね、めずらしいねって言ってたよ。」

 

 

 

そっかあ。

復職ってめずらしいのか。

 

そして、私のことを紙面を通じて知ってくれている人がいて、私が復職の決意をしたことを応援してくれる人がいたのか。

 

ありがとう、名も知らない誰か。

 

知らないところで、応援されてる。

 

それがわかるだけでも、嬉しい。

 

 

今日は2時間に及ぶ保護者懇談をこなし、出張をこなし、授業をこなし。。。

 

 

目の回るような忙しさだった。

 

 

でも、どれにも私なりの手応えがあった。

 

 

私、多分、保護者としゃべるの好きなんだな。

 

子育てしてる人と話すのが好きなんだな。

 

 

赤ちゃんとかじゃなくて、10代の子供がいる親と話すのが好きなんだな。きっと。

 

 

おつかれ私。

 

今帰宅しました。

 

体は疲れましたが、心はすっきりです。

 

6万分の5万くらい、いいこと考えました。