よい子のやめ方〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

不安の塊 三連休も毎日部活の夢を見た

三連休がおわった。

 

土曜は部活だったけど、半日で終わって、そこから私の二連休半が始まる予定だった。

 

 

楽しみに、楽しみにしてた連休。

 

 

2日間も純粋な休みがあるのは、もう何週間ぶりだろう。

 

たくさん楽しんでやろうと、彼氏と一緒にいろんなところにでかけて、お泊まりもして、ご飯も食べて、幸せな時間を過ごした。。。

 

 

はずだったんですが。

 

 

土曜の部活中に、部員の気の強い女子と少し雰囲気が悪くなった。

 

言い合い、ってほどではないが、

「それ意味あるんですか?」

「もう帰っていいんですか?」

などなど、こっちがイラっとしたり、ムッとすることを言ってくる。

 

 

私も競技に詳しくないために、変にアドバイスなんかしようとするから、信頼がなくなっているのかもしれない。

 

 

もはや道具のしまい方とか、学校のルールとか、そんなことに関しての注意すら、受け付けようとしない。

 

 

これから大会もある。

 

山のように部員と対立するシーンが出てくる。

 

 

はあ。。。。

 

 

部員に言われたことがすごく気になって、これから先の部活運営にも自信がなくなって、

 

連休中はずっとずっとずーーーーっと部活のことしか考えられなかった。

 

 

うまくいっていたと思ったのに。

 

私なりに、努力しているのに。

 

どうしてわかってもらえないんだろう。

 

こんなことなら、最初から部活運営にやる気なんか出さなければよかった。

 

 

部員に言われたことをぐちぐち考えるループから抜け出せず、しまいには今後起こるであろう対立シーンまで具体的に想像し、予想し、イメージし、脳に嫌な出来事を、起こったことも、起こってないことも、まぜこぜに刷り込んで、アドラーとか勇気とか、そんな気持ちが全部吹っ飛ぶような連休だった。

 

 

毎日部活のことを夢に見て、驚いて飛び起きる。

 

 

なんか。。。

 

 

どうしたら私は平和に過ごすことができるんだろう。

 

 

どうして、こういう細かないさかいに慣れることができないのだろう。

 

 

どうして、いつまでたっても年下や後輩が苦手なのだろう。

 

 

なぜ、うまく叱らないのだろう。

 

 

絶望の夏休みが始まる。

 

毎日4時間、部活がある。

 

大会もある。

 

それごとに、生徒を叱りつけ、傷つかないといけないのだろうか。

 

なんか。。。

 

なんか、私甘えてるのかな。

 

30にもなって、ささいなことで傷ついて。

 

これってダメなことなのかな。

 

みんな、どうやって大人になっていってるんだろ。

 

 

今までよい子にしてたし、私が私自身のことで怒られたりすることなんて無かった。

 

 

今は、私とは関係ない、自分のこと以外で嫌な気持ちになっている。

 

 

担当の生徒が言うことを聞かない、担当の部活の生徒がルールをやぶる、同じチームの教員の仕事が遅い。。。。

 

 

 

自分自身と直接関係のないところで、私の責任になっていく。

 

自分のことで精一杯だよ、もう。

 

 

 

③相手を尊敬する 交友のタスク

今日、部活で1つ意識したこと。

 

それは交友のタスクでもって、生徒を信頼することです。

 

「嫌われる勇気」の続編の「幸せになる勇気」も昨日買いました。

 

なんと、青年は教師になったのですね!

 

なんだか、本当に青年が自分のようで、とっても愛おしくなりました。

 

そして、青年が感じる疑問が、まさに私が学校現場で感じているものそのもので、本当に驚きました。

 

やっぱり2巻セットじゃないとダメですね。

 

生徒を叱ってはならない、褒めてもいけない。

 

この実践がたいそう難しいのです。

結局はよくしかり、よく褒める教育の方が生徒は従うし、指導しやすい。

 

それに、生徒自身もそう教育されることを望んでいるような気さえします。

 

 

叱らない、かつ褒めない教育は、どうしても教員が舐められる。

 

どうすればいいのか。

 

それが青年の問いでした。

 

その答えが、

「相手を信頼すること。尊敬すること」だったのでした。

 

無条件に生徒自身を受け入れ、生徒が興味を持っているものに自分も参加してみる。

 

そうして、生徒に共感していく。  

 

教員に必要なのは、子どもが自立するのを手伝うことで、叱らない、褒めない教育をするためには、まず生徒本人を信頼し、尊敬する。

 

 

だから、部活でそれを今日は実践しました。

 

 

まあ、叱りましたけど。。。

 

 

いきなりアドラーを実践するのはかなり難しいので、慣れるまでは折衷していこうと思います。

 

 

いけないことをすれば叱る。約束を破れば叱る。

 

けれど、部活のメニューなど、本人たちのやりたいこと、してみたいことはなるべく自分たちで考えさせ、決めさせる。

 

 

こちらからは最低限、やるべきメニューを示す。

 

 

少しくらい滞っても、自分たちで考え、決めさせる。

 

 

とりあえずはそれでもいいのかも。

 

 

まずは、相手を無条件に受け入れる。

 

嫌われても、それは私のタスクではない。

 

そして、教育の目標は自立である。

 

 

これがとりあえず、私の中で意識すること。

 

 

 

課題を切り離して、やるべきことをやる

今日は山ほど事務作業や生徒呼び出しや書類仕事が重なった日だった。

 

午後から出張ということもあって、午前中に、今日のやるべきことと

明日のやるべきことをやってしまわなければならなかった。

 

 

でも、今日は、他者と自分のタスクを切り離すという行為が、仕事を早く進めるのにも有効だということがわかってきた。

 

 

今日は、人によく仕事を振って、1人で抱え込まずに、締め切りにも遅れずにすんだ。

 

 

仕事を振る、というのも、他者と自分のタスクの切り離しが大切なのだと思う。

 

 

例えば、誰かに仕事をお願いするとき、

「嫌そうな顔されたらどうしよう」 

「こんなことくらい、自分でやってって思われるかな」

と考えてしまうと、人に頼まなくなってしまう。

 

 

私はこれまで、人に仕事を振るのが苦手で、1人で夜中まで残業する、もしくは土壇場になってからやっと誰かに助けてもらう、といったケースが多かった。

 

 

誰かに仕事を頼んで、私に対して

「こいつ、無能だな」と思うのは私のタスクではなくて、他者のタスク。

 

 

私に評価を下すのは、他者のタスク。

 

 

そう思えば、割り切っていろいろ頼むことができる。

 

 

仕事を先延ばしにするクセがあったけれど、他者と自分の課題の分離ができていなかったことも、その理由の1つかもしれない。

 

 

 

②他人の課題を切り捨てる実践の続き

昨日、ある生徒をひどく叱った。

 

再三言い続けて来た提出物を出さなかったのだ。

 

アドラーの心理学によると、

 

怒りは自分の目的を達するために利用しているにすぎなくて、生徒のためを思って叱ったのでもなく、ただただ私が「叱りたい、怒りたい」と思ったからだそう。

 

 

相手を自分の言うことを聞かせて、自分が上だと見せつけたかったというのが真の目的ということになるのだろう。

 

 

私の学校はいわゆる困難校であり、発達障害の生徒もたくさんいるし、おそらく知的障害と診断されてもおかしくないIQの生徒もたくさんいる。

 

 

 

そんな生徒に対し、提出物を出さなかったことについて「あれは彼の課題だから、私には関係ない」と言い切っていいのだろうか。

 

 

期限内に書類を出す。

 

 

社会に出るにあたって、基本的なことだ。

 

その生徒は3年生で、4月から働くというのに、提出物は出ない、毎日遅刻する、朝起きられない。。。。

 

もう、働いたらすぐクビになるのが目に見えるような生徒なのだ。

 

 

彼のために、日々の細々したこと、でも、大切なことを1つずつ習慣化させていかなければならないと私は思っている。

 

 

普通だったら、「困るのは自分だし、それは彼のタスクなのだ」と片付けることができる。

 

 

でも、彼は、普通の高校生じゃないかもしれない。

 

社会的に、今後福祉のヘルプが必要な生徒かもしれない。

 

 

そんな生徒に対して、私はどうしたらいいのだろう。

 

 

究極的には、それは彼のタスクで、言うなれば、彼と彼の家族のタスクであって、私のタスクではない、と言うことができるだろう。

 

 

それでも、それにしても難しい。

 

 

そう思いながら、モヤモヤして出勤したが、相変わらず彼は遅刻し、忘れ物もしていた。

 

 

ただ、厳しく叱ったことについて、あまり後を引くこともなく、普通に接してくれた。

 

 

まあ、彼は私が思ったよりも、何も気にしていないのだろう。

 

 

彼は、ガチャガチャ考えず、私が思い悩んだことも知らず、彼は彼のタスクだけを見ていたのだ。

 

 

だから、とりあえず今日はこれでいいことにしよう。

 

 

①他人の課題を抱えない アドラー心理学の実践

昨日の夜から、少しだけ月曜が楽しみだった。

 

「嫌われる勇気」を読んで、どれくらい自分が実践できるのか楽しみだったし、

 

心のトレーニングをするだけで、「見える世界が変わる」のはどんな気持ちなのか、知りたかった。

 

 

おかげで、今日は2つ大半なことがあって、どちらも緊張で胃が潰れそうだったのだけど、

 

「私のことを嫌うのは、私の課題(タスク)ではない。

 

私のことを評価したり、疎んじたり、ジャッジするのは、まわりの人の課題(タスク)なので、私はどう思われようと関係ない。」

 

 

これを言い聞かせて仕事に臨みました。

 

 

部活なんかは特にそう。

 

 

「足が止まってる」

 

「もっと早く走れ」

 

「道具は丁寧に扱え」

 

 

いつもは言いづらかったことも、今日はかなり言えたと思う。

 

 

きらわれてもいい。

 

好かれなくてもいい。

 

私のことを分析したり、好きなように評価するのは、私のタスクではない。

 

 

 

そのスタンスが少し実践できて、本当に嬉しかった。

 

 

少しずつ、自分が変われる気がした。

 

 

30歳だけど、まだ変われるだろうか。

 

 

食わず嫌いのアドラー心理学

今更ですが、「嫌われる勇気」を呼んだ。

 

なんかあまりにも売れてて読むのが気恥ずかしいことと、これを読むこと自体、明らかにメンタル弱い人って宣伝してる気がして、避けてきた。

 

 

 

ああ、読んでよかった。

 

 

やっぱり、売れるものって、やっぱり理由があるんだな。。。

 

 

 

出てくる青年なんて、自分そっくりでびっくり。

 

たぶん、読む人はみんな、「私、この青年と一緒だな」って思いながら読むんだろうな。

 

 

読書のメモ

 

①他者と自分の課題を分離する。

これ、私本当にできてない。

 

自分が失敗したとしても、それをどう評価するかは他人の課題。

どう見られるか、それは他人が私をどう見るか、という他人の課題なのだ。

 

②まわりは仲間だと思う。

うん、みんな敵だと思ってた。人生勝ち負けの発想で生きてるから、ちょっと何かあると「みんなが私をばかにする」「私ばっかり損してる」思考に陥る。

 

私のブログなんて、「なんで私ばっかり」のオンパレードだもんな。

 

 

③今、ここを生きる。人生はその過程が人生

 

どこかに向かって、作品を作るように生きるのが人生じゃなくて、今生きてる通過点そのものが人生だって思えるようになったら、「ここで〇〇しなきゃ」とか、考えなくてすむようになるな。。。

 

 

 

なんだか、ほっとした。

 

自分の言うことを守らせようとすることにほとほと疲れてたけど、人は自分の思い通りになんかならない。

 

馬を水辺に連れて行っても、飲ませることはできない。飲むのは馬自身。

 

 

これ、実は小学校のときの先生の言葉だった。

 

先生も、このことわざ知ってたんだなあ。

 

外国のことわざらしいけど。

 

 

なんか、ほっとした。

 

 

私のことを、たくさんバカにする人たちに会うだろう。

 

 

でも、それはその人の課題なのだ。

 

 

私の選択を、間違ってると思う人もたくさんいるだろう。

 

 

でも、「私の人生間違ってるよ」って思うのは、その人の課題なのだ。

 

 

 

なんだか、ちょっとラクになった。

 

 

ただ、こういうメンタル系の本というのは、読んだ直後はなんでもできる気になって元気出るんだけど、

 

 

結局日々の生活を送ってると、その刺激がなくなって、また思考回路が元に戻るんだよね。。。

 

メンタル系の本、自己啓発本は、カンフル剤みたいなもので、いっときはすごく効くんだけど、

 

「あんなに気持ち変わったと思ったのに、結局変われてない自分」にがっかりして、その反動がまた辛いんだよな。。。。

 

 

難しいな。。。

 

 

 

 

いつでも彼氏と仲良くいるためにら

仕事の不安が募っていたせいか、

 

彼氏に八つ当たりすることが増えた。

 

ああ、これではいけない、いけない、と言い聞かせているのに、止まらない。

 

 

別にものを投げるとか、怒鳴るとかではなく、

 

ラインがそっけないとか、インターフォン押されてもすぐに出ない、とか、

 

細かくて非常に面倒くさい八つ当たりをしている。

 

「なんか、顔が怖い」

 

「友達と出かけたいんだけど、でもあなたが怒りそうだからな。。」

 

と言われて、正直ショックだった。

 

私の中では、ご飯も作る、服も洗う、できるだけ笑顔で過ごしているつもりだったのに、

 

実は友達と遊びにいくのもはばかられるような束縛女だったことがショックだった。

 

 

彼がしたいことは、自由にさせているつもりだった。

 

 

でもどこかで、仕事が嫌で嫌でそれを彼氏に穴埋めしてもらおうとする余裕のなさが態度に出ていたんだと思う。

 

 

 

彼氏がいなければ、たぶん仕事続けられない。

 

 

四面楚歌みたいな学校にいて、彼氏がいなくなったら、心からほっとできる場所がなくなってしまう。

 

 

四六時中一緒でなければ、不安だ。

 

彼氏が浮気するかとかじゃなくて、仕事のことを考えてしまいそうになるのが怖いのだ。

 

自分の不安を彼氏に消してもらおうとするのは、間違っていることなのだろうか。

 

 

メンタルが不安定なばっかりに、支えてくれる彼氏がいなくなるのはとても困る。

 

 

でもメンタル安定したら、彼氏はいらなくなるのだろうけど。

 

 

早く。。。早く定年になりたい。。。

 

早く、早く95歳くらいになりたい。

 

まわりのこともわらかなくなって、気持ちがずっと変わらないような、安定した気持ちになりたい。

 

 

早く、細かいことに煩わされるような人生から卒業したい。

 

 

とりあえず、彼氏に結婚の話をやたらするのは辞めることにした。

 

 

結婚したければ、向こうから話してくるだろう。

 

 

早く確かなものが欲しくて、早く、「そばにいてくれる」という保証がほしくて、あせる。

 

どんどん結婚していった友達や、結婚してないけど仕事が楽しくて毎日友達と習い事に行っている友達がうらやましくて、あせる。

 

 

私にはどっちもない。

 

 

結婚生活も、充実した仕事生活も。

 

 

せめてどちらかないと、本当に自分はただのかわいそうで友達のいない人になる。

 

 

彼氏は、今日も家に泊まりに来てくれると言う。

 

 

義務感なのか、一緒にいたいからいてくれるのか。

 

 

よくわからない。

 

 

ああ、眠いなあ。

 

エアコン付けっ放しで寝ると、体がだるい。