よい子のやめ方練習帳〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

よい子の定義

よい子を続けて28年。

私の言うよい子の定義とは

一般常識の範囲内で生きている、
または生きる能力があるが、

「私の人生これでいいのか」

と、そこはかとない
疑問を持っている人のことです。


よい子という生き物は、

中流家庭からうみだされ、

国公立の大学を出て

市役所などに生息しています。



よい子の習性として、


・無謀なことはしない

・空気読むのがすごくうまい

・ノートをきれいに書く

・貯金している

・要領がいい

・敬語とかわりと得意



といった、

社会性や計画性が挙げられます。



よい子は

自分では無茶をしませんが

無茶をする人に憧れを抱きます。





脱サラしてカフェを経営

ノマドライフのブロガーとして生活

恋人と自転車で世界一周


といった人生に
少なからず憧れを持っています。


しかし、
よい子の本能は瞬時に


じゃあ商売がコケたらどうするんだ

ブロガーで生活なんて、ていのいいフリーター

世界旅行の後、帰ってきたら
生活どうするんるだ



実にしけた現実的な
つっこみをしないではいられない。


まっとうなよい子は

まあ、そういう生き方憧れるけど

下手したら

年取ってわりとイタい人生歩むよね

見ているぶんにはいいけど

自分はそうならなくてもいいかな


と、賢い判断を下します。

これはいわゆる

「リアルよい子」でありまして、

人生要領よく生き、

例え魅力的なことがあっても

君子危うきに近寄らず、

合理的な判断のできる生き物です。




しかし、私がここで語るよい子とは、

そうではありません。


思い切りのびやかに

レールを踏み外して生きる人々に

自分もなってみたい。

そんな人が

実は羨ましくて仕方がない。

正直言うと、歯ぎしりするくらい

羨ましい。

でも、よい子の自分は

世間体だとか

先の読めない人生へのおそれとか

親の悲しむ顔が見たくないだとか

友達にバカにされたくないとか

様々なブレーキによって

よい子の生息地からなかなか出られずにいるのです。



なので、

もし自由奔放な人生を生きる人々が

事業で失敗したり

普通の人生では起きない

アクシデントに見舞われたりすると


ああ、うっかりあっち側に行くところだった

まっとうな生活しててよかった



ほくそえんだりもします。




よい子の嫌いな言葉は

「死ぬとき後悔したくない」

「自分の人生生きてる?」

「人生一回きり」



よい子とは

人から言われたことを

つつがなく実行することで

褒められた経験をもち、

それで世間を渡ってきました。

これらの言葉は、

そんな自分の生き方を

「つまらない」

と否定しているように感じます。


「わかってるよそんなこと

でもできねえんだよ」

と、心で悪態をつくのです。



そして、1番重要なのは

これまでのそうした自分の生き方を


自分でも肯定できない


ということ。


本当にこれでよかったのかな

今ならまだ変われるのかな



そんな

人生の軸がブレブレなよい子は


「分相応に生きる」だの

「おかれた場所で咲くのが人生」だの

凡庸な自分の人生を肯定してくれる本が

本屋で平積みされているのを見て

「ああ、今の人生でいいのだ」

と、

ひとまず安心するのです。


つつがない人生、

例えドラマチックでなくとも、

自分で自分の人生に満足していれば

全く問題はありません。


しかし、

よい子は感じるのです。



それでも心に引っかかる何か。


いくつかの

選択できたであろう人生のこと。



そして、よい子を言い訳にして

何かを諦め、

それをこの先誰かのせいに

してしまいそうな予感。






だから、私はよい子をやめることにしました。


次回は、

よい子をやめる理由について。


さらばだよい子!また明日!