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よい子のやめ方練習帳〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

さようならが言えなかった

よい子を続けて29年。

こんにちは。せかい工房です。

高校教員ですが、適応障害のため、

病休中で実家に帰省しています。




この間、

勤務校でお世話になった先生が  

亡くなったと連絡がありました。



同じ教科の準備室にいた

おじいちゃん先生でした。

同僚とはいえ、

父よりも年上の先生は

ちょっとおとぼけで

機械に弱くて

ほんわかした空気をまとった

先生でした。



いつもいつも

朝は準備室でコーヒーを沸かして、

「あ〜月曜って嫌だねえ〜」

とにこにこ話しかけてくれて、

私の大好きな先生でした。



授業のあと、準備室に戻ってくると

「ああ〜疲れたあ〜」

「1日4コマ連続はきついなあ〜」

と話しかけてくれました。



ときには、

「あーこれから授業だあー

緊張するなあ〜」

と言っていて、

「ベテランの先生でも

緊張するんですか???」

と聞くと、

「そりゃあするよ〜。

だって生徒がどんな子かまだ

よくつかめないんだもの。」

と言っていました。



その頃、

授業が怖くて怖くて

緊張してしかたなかった私は、

60過ぎても授業は緊張するのかあ、

と驚いた覚えがあります。




私の作った授業で使う

パワポの資料を見て、

「わあおもしろそう!

こんなん作れるなんてすごいねえ。

どうやるの?」

とにこにこたずねてきました。





お年を召されても、

私みたいなひよっこに対して

自分の弱点を隠しもせず、

いいと思ったところを素直に褒め、

このおじいちゃん先生との会話は

ピリピリ張り詰めた学校の中で、

唯一と言っていいほど

ほっとできる時間でした。

どの先生と話すよりも、

気持ちが落ち着く先生でした。




私が病休を決めた時、

何も言わずに

学校が休みの間に

私物を全て持ち帰り、

夜逃げでもするように

学校を離れました。


教科の先生には

ほとんど誰にも

あいさつをしませんでした。




本音を言えば、

私くらいの軽い症状だったら

先生方に

あいさつをして休むということは

できないことではなかったと思います。



ただ、

向き合うのが怖くて、

何か聞かれたり

心配されたり

同情されたり

そんな会話をするのが面倒で

全部投げ捨ててきてしまいました。




おじいちゃん先生が

いつ、なぜ亡くなったのかは

わかりません。



生徒たちは

「あの先生、

手書きのプリントだから

字が汚くてわからん!!」

とか

「眠い!」

とか言っていて、

いわゆる

昔ながらの先生という感じで

あまり生徒からは

人気はなかったけれど、

私にとっては

心を許すことができる

数少ない先生でした。




あのとき、

学校を出て行くとき、

先生たちに

あいさつをしなかったことが

こんな結果になるとは

思ってもみませんでした。



病休に入って、

わかったことは


自分を大切にしてくれている人が

まわりにたくさんいたということ。



おじいちゃん先生に

何もお礼は言えなかった。


タイミングもあったし、

仕方のないことでもあるし

今更何もできない。


だからその分、

私を大切にしてくれる

まわりの友達や家族に

言えるときに

感謝やお礼の気持ちを

伝えようと思う。



どうかおじいちゃん先生が

天国で

大好きなハイボール

たくさん飲んでいますように。




さらばだよい子。また明日。