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よい子のやめ方練習帳〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

あきらめの人生観

よい子を続けて29年。

 

こんにちは。せかい工房です。

 

高校教員ですが適応障害のため

 

休職しています。

 

この春復帰予定です。

 

 

もうしばらく会えないと思って、

 

一泊二日の弾丸で実家に帰省してきました。

 

 

 

私がつらかったときに、

 

わざわざ病院まで一緒についてきて、

 

学校の外でずっと待っていてくれた母や、

 

「もうだめだと思ったら

 

いつでも帰っておいで」、

 

とのんきに笑ってくれた父に

 

仕事が始まる前に会いたいと思ったのです。

 

 

 

 

母は私が子供のころに

 

ひどい腰痛をわずらって、

 

それ以来、

 

長時間電車に乗ったり

 

30分以上歩いたり

 

重い荷物を持つこともできなくなりました。

 

 

 

自分に合う寝具でなければ

 

すぐに首や肩を痛めるし、

 

レストランの椅子も

 

体に合うものでなければ

 

すわっていられないようになりました。

 

買い物も、

 

牛乳パックなどの重いものは

 

もう持てなくなってしまったし、

 

ペットボトルのふたも

 

少し開けにくいと言っています。

 

 

 

母と同じ世代の人たちは

 

いわゆる「お金も時間もあるシニア」として

 

海外旅行や登山に行ったりしますが、

 

母はもう行くことはできないでしょう。

 

 

 

母は腰痛があってから

 

自分のできていたことが

 

1つずつなくなり、

 

できないことが

 

1つずつ多くなる、

 

そんな人生を過ごしてきました。

 

 

 

母とふたりきりになったとき、

 

「腰痛があってから、人生観が変わった」

 

と言われました。

 

 

 

「何かができなくなるのは悲しいし

 

言うことをきかない体がくやしい。

 

でも、付き合っていかざるをえない。

 

生きているだけで、よしとしないと。」

 

 

 

 

母としては、

 

私が心の病気になった以上、

 

それとうまく付き合っていかないといけないのだと

 

諭したつもりだったと思います。

 

 

 

 

そう言われて、

 

改めて自分は

 

まだ何も諦めていないことがわかりました。

 

 

 

 

ICTもアクティブラーニングも、

 

どんどん授業に取り入れて、

 

どんな生徒も

 

思わずくいつくような授業をして、

 

分掌の仕事だって、

 

「仕事早いね~」って言われるくらい

 

ぱっとこなし、

 

難しい生徒だって、

 

忍耐強くかかわり続けるうちに

 

私にしか打ち明けられない

 

悩みを教えてくれて、

 

そして少しずつお互いの関係が

 

よくなっていって、

 

いつかは担任をもって

 

卒業式のHRで泣きながら写真を撮る。

 

 

 

 

そんな先生に、

 

まだなれるんじゃないかと

 

心の中で思っている。

 

 

 

病気のあとで

 

どれだけ自分のキャパが小さいか

 

わかっているのに

 

「授業がおもしろい先生」

 

「仕事がデキる人」

 

という教員像を

 

諦めきれないでいる。

 

 

 

学校で聞いた話によると、

 

私は負担の少ない分掌にうつり、

 

いわゆる「大変な学年」の授業を

 

一コマも持たないことになったそうだ。

 

 

 

私は、

 

「みんなに気を遣われながら

 

ゆっくりマイペースに

 

なんとかやっていくお荷物」

 

として復帰するのです。

 

 

 

まだ私は諦められないけど。

 

 

 

 

学校であいさつする人はみんな

 

「あなたは真面目だから

 

これからはもっと適当にやりなさい」

 

と言った。

 

 

 

私は真面目に、

 

「適当にするにはどうすればいいのか」

 

を追求しながら

 

仕事をするでしょう。

 

真面目なよい子だから。

 

 

 

 

さよならよい子。また明日。