よい子のやめ方練習帳〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

自分の嫌いなものの話 その1 向いてないものを避けるために

こんにちは。せかい工房です。

 

仕事を決める上で、

 

もっと大きく言うと、

 

自分の生き方を決める上で、

 

自分の苦手と得意を知ることの大切さは

 

誰もが感じていることです。

 

 

そして、ときには

 

苦手なことを避けて生きる、

 

という

 

一見消極的選択に見えて

 

実はものすごい思考力がいる、

 

自分の心のアンテナをしっかり張るという

 

生き方もあります。

 

 

 

 

何がきらいなのか、

 

というのは、

 

それそのものが嫌いなのか、

 

たまたまその環境が嫌だったからなのか、

 

様々な分析が必要です。

 

 

 

私には、

 

どうしてもミートソーススパゲティが

 

食べられないという友達がいます。

 

 

なぜかと言うと、

 

子どもの頃にミートソーススパゲティを

 

食べ過ぎて、

 

吐き戻してしまった記憶があるからです。

 

 

それは、

 

ミートソーススパゲティの味が嫌いなのではない。

 

「吐く」という行為が不快だったからです。

 

 

 

私が今の仕事に対して

 

嫌だな、嫌いだな、と思うものも

 

もしかしたら、

 

それそのものが嫌いなのではなく、

 

別のファクターがあるのかもしれません。

 

 

というわけで、

 

今後の残り60年くらいの人生を

 

有意義なものにするためにも、

 

私の嫌いなものを分析してみようと思います。

 

 

 

まず、緊張することが嫌い。

 

例えば、野球でバッターボックスに立つような場合。

 

その瞬間、そのときに求めらる

 

パフォーマンスというものに

 

恐怖を感じます。

 

鉛筆なら、間違えれば消しゴムで消せる。

 

資料作りなら、パソコンで修正できる。

 

ものづくりなら、試作品が作れる。

 

 

 

しかし、

 

スポーツというのはその瞬間に

 

正しい判断を下さなければならない。

 

 

 

そういう意味では、

 

料理とか、漫才とか、

 

やり直しのきかないパフォーマンスは

 

胃がつぶれるような緊張をもたらします。

 

 

授業は、

 

言い間違えたことは言い直せる。

 

 

しかし、

 

教員をしたことのある人は

 

たぶんみなが経験したことがあるでしょう。

 

 

 

誰かが授業の芯の部分に触れるような、

 

鋭い質問をしたり、

 

クラスの雰囲気が

 

授業の、その単元の

 

本質をつくような出来事が起こる。

 

 

 

そのときの教員の一言は、

 

漫才やスポーツと一緒である。

 

 

 

授業を決定づける、

 

外してはならない一言を言わないといけないことがある。

 

 

 

その瞬間が

 

とても幸せだと思うこともあるし、

 

ものすごいプレッシャーに思えるときもある。

 

 

 

生徒指導でもそうだ。

 

生徒が全身全霊で

 

反発してぶつかってきたときに

 

大人として、

 

外してはならない一言を

 

言わないといけない瞬間がある。

 

 

 

 

私は、

 

それに立ち会うのが怖い。

 

 

 

自分の思想も哲学も

 

自分の人生経験も、

 

あまりに脆いので、

 

彼らに何も言ってやれる言葉がない。

 

 

 

そして、

 

いい言葉をもらえなかった子供たちは

 

みんな私に失望して去って行ってしまう。

 

 

 

私は、

 

彼らの人生に必要な

 

人生に残るような一言を

 

何もあげることができない。

 

 

 

それは、本当に悲しいことだ。

 

 

 

彼らが退屈している日常に

 

ぱっと刺さるような一言を

 

言ってあげられたらいいのに。

 

 

 

それができなくて、

 

今日も中途半端な自分にがっかりする。

 

 

 

 

それは逆に言うと、

 

彼らの人生に残る先生でありたい、

 

相手に尊敬されたい、

 

もっと言えば、

 

相手をコントロールしたい、

 

支配したい、

 

という欲の現れである気がする。

 

 

 

そもそも、

 

自分が彼らにあげられるものなんて

 

何もないのかもしれない。

 

彼らに主張したい思想もない。

 

 

 

結局、

 

今の仕事が辛いと思うことは、

 

「相手が自分の思い通りにならないことへの苛立ち」

 

「自分が尊敬されないことへの苛立ち」

 

につながっているのだと思う。

 

 

 

そう考えると恐ろしい。

 

 

周りの顔色を伺って、

 

生徒にもビクビクして、

 

人の良い、気弱で真面目な教員のふりをしているが、

 

私は周囲の人を

 

自分の支配下におきたくてたまらない人間なのだろうか。

 

 

 

そんな自分を知って、本当に嫌になる。