よい子のやめ方練習帳〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

私が学校から逃げ出した日

こんにちは。せかい工房です。

 

連休の最終日に気持ちが不安定になるのは毎度のことですが。

 

3連休は友だちが家に泊まりに来ていて、とっても幸せです。

 

彼女は、去年の今頃適応障害になった私をずっとそばで支えてくれていた人でもあります。

 

 

昨年の10月の末、2時間目の授業を控えていた私は

ものすごい緊張感から二階の職員室の1番奥のトイレで動けなくなって、

授業をすっぽかして泣きながら学校から逃げ出しました。

 

 

 

そんな私に付き添って、一緒に学校の荷物を整理してくれた友だち。

 

 

 

あれからもうすぐ1年になる。

 

 

私は去年よりは少し元気になって

少し学校にも慣れて

少し前よりも明るく振る舞えるようになった。

 

 

あのとき産まれたばかりだった甥っ子は1歳になった。

 

 

1年前、おかあさんとやりとりしたメールを改めて見返すと、毎日すさんだ気持ちで生きていたんだな、ということと、

お母さんとお父さんはなんて優しかったのだろう、どうしてもっと、前から頼らなかったのだろうと思う。

 

もっと、具合が悪くなる前に助けてって言えばよかった。

やせ我慢せずに、助けてって言えばよかった。

 

 

少しタイミングは遅かったけど、何とかあのとき実家に帰って助けを求めることができたおかげで

私は今死なずにすんでいる。

 

 

 

電通の24歳の女性が過労死した事件。

 

いい大学を出ていい会社にはいってよい子で生きてきた彼女は、

「助けて」と言うのはきっと罪悪感でいっぱいだっただろう。

 

彼女はもう1人の私だったかもしれなくて、

そう思うと胸が痛い。

 

 

みんな、「辛かったら逃げていい」なんて言うけど、

そんなの、大事に至ってからしか言ってくれない。

 

元気な(ように見えてる)間は、もう少し頑張ってみたら?とか、せっかくここまできたのに、としか言ってくれない。

 

 

元気なように見える姿と、死ぬ寸前の姿の間には、ほんの一瞬しか時間がない。

 

 

心は少しずつ蝕まれていくのに、外からも自分でも気づくことができるのは、

ある程度取り返しがつかなくなってからでしかない。

 

 

彼女はどんな思いで自ら命を絶ったのか。

 

 

ご両親はどんな気持ちなのか。

 

 

 

まともに考え出すと自分もとても苦しいので、見て見ぬ振りをしていたけど、

やっぱり今日は向き合って、日記を書くことにした。

 

 

 

どうか仕事で追い詰められて亡くなる人がいない世の中になるようにと願わずにはいられない。

 

 

 

もし、私のブログを読んでいて、悩んでいる先生がいるとしたら、

その人が、休もうと少しでも思えるようになれたら、

私がただ言いたいことを書き散らかしているこのブログにも、少し意味があるのかなと思う。