よい子のやめ方練習帳〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

寄り添うよりも暴力で解決した方が早いと思うことがある

こんにちは。せかい工房です。

 

教員の研修で、保護者対応や障害のある生徒への授業研究などのテーマで必ず聞く言葉がこれ。

 

「寄り添う」

 

もしくは、

 

「共感する」

 

 

この保護者、めんどくさいな、

この生徒、問題行動起こしてばかりだな、

という捉え方をしていると、

 

実は保護者は大変な家庭環境で育ったという成育歴の持ち主で、子育てに不安を抱いていた、とか、

生徒は発達障害があり、状況の認知の仕方が他人とは違っていた、とか、

 

否定的な見方では真実は見えてこないとき、

本人、保護者の気持ちになって考えると、解決策は意外なところにある、 

 

ということを伝えたいときに使う言葉です。

 

 

この「寄り添う」「共感する」ということはとても難しい。

 

 

別に、相手の気持ちになって考えることは、

まともな教員であれば研修を何度か受ければすぐ腑に落ちるものなので、

理解が難しいわけではない。

実践が難しいわけでもない。

 

 

問題は、寄り添って共感した後に、どこに線を引くか、だと思う。

 

 

 

つらいことがあった、そうかわかったよ。

 

じゃあ、テスト15点でも進級させるか?という話です。

 

じゃあ、茶髪登校をその生徒だけ許可するか?という話です。

 

じゃあ、その子だけケータイで板書の写真を撮って保存してもいいとするか?という話です。

 

個別対応なんて、やろうと思えばいくらでもやれるし教員の柔軟性が問題なのではない。

 

 

 

問題は、それを学校の対応としてどこで線を引くのかということです。

 

 

カンのいい人と批判精神のある教員ならわかると思うけど、

そもそもこの学校としてどこまで対応するか、集団組織の中にどう個別対応を位置づけるか、という問いがそもそもナンセンスで、

教育は集団でうける必要もないし自分の好きな形態で学べる環境を提供することが正しい教育のあり方なのだということに、結局は立ち返るのです。

 

 

だから、学校という集団、組織の中であるべき教育を行うことは、どうしたってどこかに歪みが出るし、

結局「ルール守らないと殴るぞ」くらい迫力のある強面の教員が対応することで面倒な事態は回避される。

回避されているように見える。

 

 

まあ、学校に在籍するのも中、高では3年ずつしかないのだから、力でねじ伏せて言うこときかせた方がよっぽどラクなんです。

 

そうしたら、「どうしてもこれは個別対応しないと無理!」っていうケース以外の個別対応は黙殺できるから。

 

 

 

研修では、もっと保護者に寄り添って、生徒に寄り添って、彼らの困っている現状を理解して共感を示して、対応していこうと言われる。

 

それは全くその通り。

 

それは大前提としてあるけれど、

現場では、一個ずつのケースに対応するよりも暴力で脅していうこときかせた方がラクだし

あんまり寄り添っても舐められる、というのが肌感覚として近いものがあると思う。

 

 

寄り添って対応していかないといけないんなら、それだけの人員と予算をまわせ、ということになるのでしょう。

 

 

えてして、この「共感して」「寄り添う」指導というのは机上の空論になりやすい。

 

私はこの机上の空論自体はとても好きだし、何より、問題行動の裏には必ずその人の苦しみや困りがある、なんて言われたら、

世の中に悪い奴なんていないんじゃないか、解決できない問題はないんじゃないかと

心が浄化するような気持ちになれる。

 

 

 

じゃあ、実際目の前の生徒が自分に暴言を吐いて、その保護者に何時間も電話口で怒鳴られて、

それに共感して寄り添って毎日やっていけるか?ってことですよね。

 

 

怖い顔の体育教員が一括すれば、少なくとも表面上は何事もなく終わることでもあるんだから。

 

 

そんなわけで、「寄り添って」「共感」するのは大事だけど、

あんまりそれをすると自分の気持ちも巻き込まれて過剰にのめり込んでしまうので、

私はほどほどに相手と距離をとって突き放すテクニックの方が知りたいと思ったのでした。