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よい子のやめ方練習帳〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

完璧な人生を送るという欲求を少しずつ矯正する

こんにちは。せかい工房です。

 

高校教員をしています。

適応障害で昨年10月に休職、その後復職し、あれから一年が経ちました。

 

 

 

今日は祝日です。

木曜日は授業のコマ数も多い日なので、お休みになってとっても幸せです。

 

 

最近、早く帰ることを心がけてから、とても気分がいいです。

しっかり諦める覚悟がてきた気がして。

例えば、教員との雑談の時間よりも、仕事をさっさと終わらせて家で寝るとか、授業への細かいこだわりをある程度捨てて、最低限の質さえ担保できればあとは家での時間を優先するとか、

自分の健康のために何をどこまでやればいいかがわかってきたことがとても嬉しいです。

 

 

落ち着いた気持ちになると、休職したときのことをまた違う思いで振り返ることが多くなりました。

 

 

 

あのときは、嫌だったら全部放り出してしまえばいい、とか

壁にぶち当たったら、体を壊す前にさっさと辞めればいい、とか

何かにつけて0か100かで考えていました。

 

 

思えば、ちょうどその頃に別れた彼氏との関係もそうでした。

今まで大きなケンカをしたこともなかった私たちでしたが、仕事を辞めたいと何度も繰り返す私の姿を見て、

「仕事を辞めるなら、子どもを育てるのも大変だし、ぼくは子どもに大学まで行かせてやりたい。そう考えたら、結婚は難しいと思う」

と告げられました。

 

私は、今の仕事の忙しさだとか、心の余裕のなさにもっともっと共感して欲しかったし、早く結婚して学校や仕事や教育の世界とは違うもうひとつの落ち着ける場所が欲しかった。

 

自分の希望が思い通りにならなかったことがとてもショックで、私から別れを切り出しました。

 

彼は最後に、「本当はあなたと結婚したかった」と言った。

 

そのときの私も、0か100かの思考回路だったのだと思う。

 

彼は、私に少しだけ結婚に向けて、もう少し長期的な考え方をしてほしかったのだと今ならわかるし、決して「結婚は無理」というわけではなかった。

 

もう少し私が我慢強く相手と話し合いをしていれば、

 

自分の気持ちを彼に吐き出しすぎて負担をかけなければ、

 

「結婚は難しい」という部分にだけ反応するのではなくて、もう少し、もう少しお互い意見をすり合わせるということができていれば、

 

今頃はまた違った生き方になっていたのだろうかと思う。

 

相手に自分の理想を押し付けて、それがその通りにいかなければ、「じゃあもういいや」と、ちゃぶ台をひっくり返すような別れ方をした。

 

 

完璧な人じゃないならいらない。

完璧な結婚相手じゃないならいらない。

完璧な人生じゃないならいらない。

 

 

 

適応障害で休職なんて、メンタル弱いやつのレッテル貼られる人生ならいらない。

教員の中で、お荷物になって助けられて働く仕事ならいらない。

自分の授業を聞く気のない生徒ならいらない。

 

 

 

何かとぶつかって、プライドもずたずたになって、格好悪い段階を乗り越えて、何度もトライして、人と意見をすり合わせて、曲がりなりに前にすすむ。 

 

 

格好悪くても、それでも、助けられて生きるということは、私が思い描いた人生とはずいぶん違うけど、仕方がないことだと思うし、そこからまた何度もスタートを切りなおしていくしかないのだと思う。

 

0か、100かではない、2の日もあれば、85の日もある毎日を生きるというふうに、思考が矯正されてきた気がする。

 

その影響のせいだと思うけど、誰かの仕事に対して、細かく批判することはあまりなくなったと思う。

 

例えば、絵の下手なマンガに対してあんまり批判することがなくなった。

 

 

こいつプロのくせに、人物の骨格おかしいな、とか、コマ割り不自然だな、とか、そういうことをあまり考えなくなった。

 

 

マンガを描く人も、日々変わり続けるし、絵が上手いことが必ずしもおもしろいマンガだとも限らない。  

 

 

マンガ家も、映画監督も、アイドルも、サラリーマンも、消防士も、警察も、先生も、

 

 

プロなのに、うまくできない日、うまくできない時期、うまくできない一瞬がたくさんあるのだということが、身を以てわかったからだと思う。