よい子のやめ方練習帳〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

家族の標本 それでも生きる家族

こんにちは。せかい工房です。

 

30歳です。高校教員をしています。
適応障害で昨年10月に休職、その後復職しました。

 

 

 

今日は家庭訪問に行きました。

 

 

情報は仮のものですが、

 

姉が不登校、生徒本人が発達障害、お父さんが統合失調症、そしてお母さんもメンタル少し弱め。

 

 

こんな家庭です。

 

 

 

このお家への家庭訪問は初めてだった。

 

 

電話の向こうで、皿を割る音や、怒鳴り声が聞こえることもあった。

 

 

このお家は、どんな暮らしをしているのだろう?

 

 

いざ部屋に入ると、お母さんが優しい顔で迎えてくれた。

 

部屋はきれいに片付いていて、暖かいコーヒーが出た。

 

 

家庭訪問でお母さんはこう言った。

 

 

 

「姉も最近は学校に行きだしているし、私もお父さんも気分がいいんですよ、先生。

 

お父さんもね、習い事始めて、最近楽しいって言うんですよ、先生。」

 

 

 

半分壊れかけていたような家庭は、何がきっかけかはわからないけど、以前と比べて少しずつ変わっているようだ。

 

 

 

 

私がもしお母さんだったら、こんな風に笑えるだろうか。

 

 

 

結婚した夫はいつもイライラしていて、そして不可解な行動をすることがある。

 

 

2人産まれた子供は、発達障害不登校だ。

 

 

こんなはずじゃなかった、

 

もっと幸せになるはずだった、

 

賢くてかわいくて素敵な子供たちと、

 

愛する夫と行きていくはずだった。

 

 

 

 

私だったら、この旦那さんと結婚したことから後悔して悩みそうだ。

 

 

どこでつまづいたんだろう?

どこで道を間違えたんだろう?

私の何が悪いんだろう?って。

 

 

 

いっときは荒れていた家も、最近はずいぶん平和になったようだ。

 

 

お母さんの表情から、それが伝わって来た。

 

 

 

人生には、予想外のできごとばかり起こる。

 

 

こんなはずじゃなかったことばかり起こる。

 

 

でも、その環境で、自分の足元からしかスタートは切れない。

 

 

違う人生にジャンプすることはできない。

 

 

目の前のところから、一歩を踏み出すしかない。

 

 

どんな家庭でも、離れるにしろ、続けるにしろ、目の前の一歩から進むしかない。

 

 

 

私は、たぶん生徒よりも保護者のほうが好きだ。

 

完璧主義ではいられない、「子育て」の中で何度も波を越えて来て、思い描いた理想の家族とも遠く離れた現実の中で、それでも生きていこうとする保護者が好きなのかもしれない。

 

 

 

私には夫も子供もいない。

 

どこまでも切り落とすことのできない人間関係をつむぎ続ける家族というのは、本当に不思議なコミュニティだ。

 

 

どんな環境でも、なんとか生きている姿に、家族という形を継続している大人に、私は愛おしさを感じる。

 

 

 

ときには生徒そのものよりも、保護者に共感してしまう。

 

 

若い人は、何かを捨てていける。

未来がある。

いくらでも変わっていける。

 

 

 

がらりと変わることのできない大人にこそ、私は敬意を払うし、そういう姿に惹かれるのだと思う。

 

 

 

あの家庭の幸せが、少しでも長く続きますように。