よい子のやめ方練習帳〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

戦場のような教室と、静かで落ち着いた教室がある不思議

こんにちは。せかい工房です。

 

今年30歳です。

高校教員をしています。

 

一昨年に転勤先で適応障害になり、半年休職して、その後復帰しました。

 

 

 

今日は朝から大変だった。

 

朝礼の時間に、教員と生徒がものすごい言い合いを始めたのだ。

 

ピアスをつけてはいけないという注意を教員がしたのをきっかけに、お互いカッとなって激しい言い合いになった。

 

 

教室は静まり返って、ものすごい空気になった。

 

 

 

副担任で朝礼に顔だけ出している私も教室にいたけれど、体が震えた。

 

 

こういう場面が苦手な私は、すぐに心を閉ざしてしまう。

 

そして、一生懸命6万回のうちの1のいいことを考えようとした。

 

 

朝礼が終わってすぐに廊下に飛び出した。

 

注意された生徒が、担任に聞こえよがしに悪態ついたり友人に大声で愚痴るのを聞くのも嫌で、

担任がイライラしている顔を見るのも嫌で、

すぐにその場から離れた。

 

 

 

廊下には、隣のクラスの生徒が教室移動で家庭科室に行くところだった。

 

みんな、調理実習の準備をしてわいわい楽しそうに階段を降りて行く。

 

 

 

不思議なものだ。

 

 

ある教室は、心が冷え切るような空気になっているのに、

 

扉の厚さ1センチの向こうには、笑顔で歩く生徒たちののんびりした空気がらただよっている。

 

 

 

 

扉一枚隔てただけで、どうしてこんなに違うのだろう。

 

当たり前といえば当たり前だけど、私にはとても不思議だ。

 

 

同じ時間を生きているのに、お互い全く違う空間で全く違う体験をしている。

 

 

まるで、紛争で苦しむ遠くの国と、日本のように豊かで平和な国みたいに。

 

 

そして、こんなに私にとって苦しいこの学校も、外から見たら、行儀のいい、授業を淡々と行う、普通の高校に見えるんだろう。

 

 

なんて不思議なんだろう。

 

 

 

病休で実家に帰ったときもそうだった。

 

 

今頃、あの教室であの生徒は暴れているだろう。

今頃、英語の時間でまたあの生徒は廊下へ抜け出してエスケープしているだろう。

みんな、先生たちは大変だろう。

 

 

でも不思議だ。

 

私は同じ時間を生きているのに、実家にいるから全然苦しくない。

 

 

きっと、そんなこといっぱいあるんだろうな。

 

 

その場所にいたらそれが全てになるから見えないけれど、

一歩遠くに行くだけで、見える景色が全然違うってこと。

 

 

そうやって、とりあえずネガティヴじゃないことを考えていると、6万回のうち半分くらいはのんびり構えることができた。

 

 

この6万回方式は、今のところ私にとって合っているのかもしれない。