よい子のやめ方〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

卒業式のあと、担任をしてみたくなった

こんにちは。せかい工房です。

 

今年30歳です。

高校教員をしています。

 

一昨年に転勤先で適応障害になり、半年休職して、その後復帰しました。

 

先週、卒業式が終わりました。

 

うちのクラスは、担任と生徒の関係がすごく悪くて、副担の私は、毎日の朝礼や終礼でいつも胃が痛かった。

 

担任の先生と気があうだけに、生徒にいつも悪口を言われるのを聞くのが辛かった。

 

そして卒業式当日。

卒業式のホームルームは、「みんなが感動する」というひとつの共通認識がある。

 

担任からの言葉に泣いて、みんな担任と写真を撮って、学校楽しかったなって言い合いながら、名残惜しそうに学校を去る。

 

それが普通の卒業式。

 

私は最後のホームルームが怖かった。

 

 

最後の先生からの話を、みんなはきちんと聞いてくれるのだろうか。

 

生徒は誰も担任と写真を撮らないんじゃないだろうか。

 

それを横で見てる気まずさを想像するだけで胸がつぶれそうだった。

 

できたら、ホームルームに行きたくなかった。

 

 

 

 

体育館での卒業証書授与が終わり、卒業の歌が終わり、送辞と答辞が終わり、祝電の披露が終わり…

 

そのとき、卒業生のサプライズが始まった。

 

各クラスの生徒が、それぞれ各担任にお礼の言葉を言っているのだ。

 

 

1組の生徒が、1組の担任に「1年間ありがとう。先生のこと、大好きだったよ!」と言う。みんなで、声を揃えて「ありがとうございました!」と叫ぶ。

 

 

2組の生徒が、同じように担任にお礼の言葉を言う。

 

担任はみんな泣いている。

 

私は内心どきどきしていた。

 

うちのクラスだけ、サプライズがないんじゃないか。

 

3組、4組が終わり、とうとううちのクラスになった。

 

 

担任といつもケンカしていたあの子も、始業式に担任を睨みつけていたあの子も、どんな顔をしているんだろう?

 

 

「先生、1年間ありがとうございました。」

 

 

うちのクラスの生徒の声だ。

 

みんながそろってお辞儀をする。

 

 

うちのクラスも、サプライズがあった。

 

 

教室に帰って、生徒たちと最後のホームルーム。

 

担任の先生は泣いていた。

 

クラスの生徒は、みんなにこにこしていた。

 

 

あんなに仲が悪かったのに。

 

これが卒業式マジックか。

 

心のどこかで揶揄しつつも、羨ましかったのも事実だった。

 

 

そっかあ。

 

生徒って、本気で愛して、手をかけて、見守ってやれば、最後はきちんとお返しをくれるのだ。

 

 

私はもう少し、生徒を信頼してもいいのかもしれない。

 

 

こうして生徒とぶつかり合ってなお、生徒からお礼を言ってもらえるのが担任だけの特権なのだと思う。

 

 

私の中で、初めて、担任をしてみたいという気持ちが芽生えた。

 

 

そして、もっと生徒の前で素直になってもいいのかもしれない、もっと信用してもいいのかもしれない、と思うようになった。

 

 

この気持ちも、日々の忙しさの中できっとなんども揺れ動いて、かき消されてしまうだろう。

 

 

それでも、私にとって、一時であれ「担任をしてみたい」と思えたことは大きな驚きだった。

 

意外だ。

 

 

もっと、心は枯れていると思ってた。

 

 

これから何度も怯んで、動けなくなって、また仕事を辞めたくなるときが来るだろう。

 

 

たとえ仕事を辞めたとしても、「チャレンジしてみてもいいかな?」と思える自分がいたことを誇りに思いたいし、小さな自信にしたい。

 

 

これはフツーの先生にとって小さな一歩だけれど、私にとっては大きな一歩だ。

 

 

来年度は、私が大好きな優しい女性教員のもとで副担任をさせてもらえることになった。

 

 

私はまた担任にはなれない。

 

でも、ゆっくり、ゆっくり、できることをひとつずつ、あせらずにやっていこうと思う。