よい子のやめ方〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

一緒に働きたい人、働きたくない人

こんにちは。せかい工房です。

 

 

今日は、ほんと自分、先生に向いてないなあと思いました。

 

 

生徒のことが待てない。

 

 

生徒が理解できるまで待つことができない。

 

 

 

今日の授業は全部誘導尋問みたいでした。

 

 

 

なんか、たぶん、私ってきっと一緒に働きたくないタイプの人だろうなあ。

 

 

 

カリカリしてて、うっかりミスもして、プライド高いから自分のやり方を曲げないで、でも注意されるとプライド高いからすぐ相手を恨む。

思い通りにならないと、すぐ不機嫌になる。

 

 

そういえばツイッターかなんかで、現代の若い人は、じっくりものごとに取り組み考える力が後退してるっていうマンガあったなあ。

 

 

ケータイですぐものが調べられる、スイッチひとつで洗濯できる、米が炊ける。

 

 

そんなんに慣れたら、思い通りに行かないものごとに対して耐性はつかないよね。

 

 

思い通りにならなかったら、すぐ怒るようになっちゃうよね。

 

 

 

できるだけ、そういう危機感を持って生きていたいと思う。

 

 

自分は便利な生活と引き換えに、じっくり考えたり、何かの成果が出るのを待ったり、思い通りにいかないことに対して解決策を考える力がなくなる時代の人間なんだ、ということを。

 

 

 

なんか支離滅裂になったけど、なるべくポジティブに生きようとはしてるつもり。

 

 

 

思い通りにいかないことに、必要以上にカリカリしない。

 

 

 

教育なんて、ほんとにそう。

 

 

思春期の子供を相手にしてる時点で、今私が伝えている言葉がどれくらい経って彼らに届くのかは未知数だ。

 

 

10年後かもしれないし、死ぬ前かもしれないし。

 

 

成長の過程にある人間に、カリカリしてしまうこと自体が、もはや教員として間違っている気がする。

 

 

だって、そこって教員が1番楽しいと思うはずの部分だと思うから。

 

 

 

生徒が成長する、ぶつかり合って切磋琢磨する、そのプロセスを楽しむことができなければ、教員人生は苦行だ。

 

 

それでも、なんとか楽しい部分を見つけてやっていきたいと思うのだけど、うまくいかない。

 

 

私がまだ若すぎるのもあるだろう。

 

 

 

こんな日には彼氏に会いたいのに、今日は会えない。

 

 

 

あーーー何か確固としたものが欲しい。

 

 

宗教にハマる人ってこういうタイミングで入信するんだろうなあ。

 

 

 

答えのない世界で、どんな荒唐無稽なストーリーでもいいから、真実らしきものを誰かに決定してもらって、押し付けられたいという気持ち。