よい子のやめ方練習帳〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

適切な距離を保てば優しくなれる?

今日は、部活で引退した3年生と話す機会があった。

 

 

もうすぐ文化祭で、学校ではその準備のためにわらわらと生徒が集まって、

ダンスの練習や模擬店の相談などをしている。

 

 

引退した3年生が、

 

「先生、これ私たちの出し物の看板なんですよ。

 

すごくいいでしょう?」

 

と話しかけてきた。

 

 

 

以前なら、しかめっ面でしか話のできなかった3年生。

 

 

部活を引退し、私も相手も、ようやくたがいをフラットな目で見られるようになったのだろう。

 

 

小言ばかりで気の利かない、専門性のない顧問。

 

マナーも守らず、自分たちの主張だけはするわがままな生徒。

 

 

そんなかたちでしか関われなかったけれど、

 

距離ができたことで、

 

「先生と生徒」

 

という、普通の会話を普通にする関係に戻れた。

 

 

 

私は、ある意味で近すぎるのだろうか。

 

 

相手の悪意を敏感に察知して、自分も機嫌が悪くなることが多い私。

 

 

でも、それは必要以上に相手の感情に乗り移られているのだと、本に書いてあった。

 

 

心を細やかに読みすぎる、読めすぎるせいで、

 

自分の気持ちと、相手の気持ちの区別がつかなくなるのだという。

 

 

 

アドラー心理学でも、

「自分より大きな共同体の声を聞く」

という考えがある。

 

 

どうしても「学校」や「部活」という限られた共同体では、

 

世間一般とはかけ離れた決まり、ルール、常識に縛られすぎて、

 

何が正しいのかわからなくなることがある。

 

 

問題は、外から見ている方がよい解決策を冷静に考えられるということだ。

 

 

狭い共同体のできごとで判断に迷ったら、

より大きい共同体の声を聞く。

 

 

関係があまりに狭くなりすぎて、判断に迷ったら、

「これ、自分が顧問じゃなかったら、目くじら立てないよなあ」

「これ、一般の人が見たら、生徒の自主性に任せていいものだよなあ」

と考えることが必要だ。

 

 

適切な距離を保ち、近くなりすぎない。

 

視野を広く持つ。

 

 

今日も、となりのクラスの生徒が大変な問題を起こして退学沙汰になり、

職員室がてんやわんやしていた。

 

冷静に考えたら、1人の生徒が、長い人生の中で失敗して、学校行事に参加できなくなったということ。

 

 

そんなの、「あるある」なのかもしれない。

 

悩むことでもないのかもしれない。