よい子のやめ方練習帳〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

誰も仲のいい同僚がいない

今日は文化祭だった。

 

大抵、イベントでは教員は

 

校門当番や体育館当番やゴミ捨て当番、受付なんかの仕事があって

 

イベントそのものを見られる時間は半分くらい。

 

でも、その半分はほとんど自由時間みたいなもので、うろうろと校内を歩き回ればいい。

 

 

 

 

私にとっては、その自由時間というものがやっかいなのだ。

 

 

グラウンドの端や門の横には、

門当番の仕事しながらも、

生徒の様子を横目で見ながら

おしゃべりしている教員がいる。

 

 

明るい先生や、笑顔の多い先生たちの

周りには、先生が何人も集まって、

「あそこの出し物すごいよね」

とかなんとかおしゃべりしている。

 

 

明るい先生が少し暇そうにしていると、

その先生めがけて人が集まってくるのだ。

 

 

私が門当番のときは、誰も集まらない。

 

 

2人で当番にあたったりしても、

私のまわりには誰も来なくて、

私じゃない方の先生に人が集まって、

「今日の天気、持ちそうですね」

とかそんな話してる。

 

 

話の内容は、別に全然おもしろくないし、特別な内容でもない。

 

 

でも、私とは、天気の話すらしてくれない。

 

 

逆にいうと、明るい先生、おもしろい先生とは、天気の話であっても楽しめる、ということなのだろう。

 

 

明るい先生、おもしろい先生が、少し手持ち無沙汰にしてると、途端にいろんな先生が話しかけてくる。

 

 

私がいくら手持ち無沙汰にしていても、

誰も雑談をしに来てくれない。

 

 

私から雑談しに行くこともあるが、

ほとんど途中で話は終わって、

その先が続かない。

 

相手から、「この人と話してても、メリットないんだよね」という気持ちが伝わってくる。

 

 

早く会話を終わらせてしまいたい、とまではいかないけれど、

 

もっとおもしろい先生がきたら、すぐ乗り換えよう、というくらいに雑に扱われている。

 

 

おもしろくもなく、ネガティヴで、

相手になにもプラスのものを与えられない自分が悪いからしょうがないのだけど、

 

 

自分よりも後に後に赴任してきた若い先生たちが、

 

私と同じ教科や同じ分掌の人たちと、

 

私よりも楽しそうにお互い話しているのを見ると、なんとも言えなくなる。

 

 

私が苦労して人間関係を築いてきたのとは対照的に、

新しく入った若い先生たちはあっという間にうちの学校に溶け込んでいって、

私なんかそっちのけでみんな楽しそうだ。

 

 

そうそう、みんな楽しそうなのだ。

 

でも、私と話すときは、急に楽しくなさそうになるのだ。

 

 

たぶん、話の内容がおもしろいとかおもしろくないとかではなく、

 

私からは、暗いオーラ、この人といると、損するぞオーラ、メリットは何もないオーラが発信されているんだろう。

 

 

 

用具の片付けの仕事で、

「○○せんせーい!」と

遠くからある先生を呼んだけれど、

気づかずに行ってしまった。

 

 

でもたぶん、

それは気づいているけど、

気づかないふりしてたんじゃないかな。

 

 

その先生注意深い人だし、

人気者の先生たちに呼ばれたら、

すぐ振り向いて、

「なんか仕事あったら手伝います!」

って言ってたと思う。

 

 

 

 

うちの部活の生徒が、文化祭後のゴミ捨て場の掃除の担当にあたっていたが、

 

私の指示には文句ばかり言うのに、

別の教員の指示は、あいづちをうって、

丁寧に返事していた。

 

 

生徒からも、先生からも、

「こいつは粗末に扱っていいやつ

こいつは雑に扱っていいやつ」

という目で見られているのだろうと思う。

 

 

最後は、生徒のやり残した道具片付けを1人でやった。

 

 

たぶん、人気者の先生が1人で道具片付けしてたら、

「大丈夫ですか?」

って何人も手伝いに来てる。

 

 

みんな、私が1人で走り回っていても、

かなり明確に「助けて」って言わない限り、

できるだけ気づいていないふりをする。

 

 

 

楽しい先生とは、たとえ用具片付けでも

いっしょにいたいものなのだ。

楽しい先生とは、天気の話であっても、

どんな内容の話でも、楽しいものなのだ。

 

 

私とは、その全てが逆になっている気がする。

 

 

文化祭が終わっても、

「もーお疲れ様でした!!大変でしたねー!!!」

と、言い合える同僚もいない。

 

 

こういう行事終わりは、

公式の学校全体の飲み会以外に

学年だけ、もしくは仲のいい人だけの非公式飲み会があったりするのだけれど、

 

 

私は一緒に飲み会に行く人もいない。

 

 

誘いたい人も、誘ってくれる人もいない。

 

 

決して仕事は適当にしているつもりはないし、

それなりに頑張っているつもりなのだけれど、

 

 

何かを分かち合ったり、

この人といつまでも話していたい、

この人と愚痴を言い合いたい、

と思ってくれる同僚がいないのだ。

 

 

卒業式が来ても、きっと私は定時に帰るのだろう。

 

 

誰とも飲み会にも行かず、

非公式のお疲れ様会もせず、

スッと学校からいなくなるのだろう。

 

 

 

さみしいけれど、仕方がない。

 

 

今の学校では、役立たずなのだから。

 

最低限のことしかせず、

話していても楽しくない、

学校運営の脇役なのだから。

 

 

 

まあ、学校では脇役なのは仕方ないけど、

それでも、脇役なりに一緒に話せる同僚が欲しかったな。

 

 

学校には、仕事や生徒対応のうまさで、明らかに学校の中心となるメンバーの先生たちがいる。

 

 

そんな先生たちは、やはり生徒からの人気も高い。

 

 

そんな人たちと一緒に飲んだり、

愚痴や冗談を言い合いたいと思うのは

身の丈に合わない願いだと思うから、

そこまでは望まないけれど、

 

 

学校の中で、私と同じように脇役ポジションにいる人でさえ、

私と話すのはあまり嬉しくなさそうなのである。

 

 

せめて、同じ脇役ポジションの人の中に、一緒に悩みを話したり、お茶をしたり、愚痴を言い合える相手がいればなあと思う。

 

 

時々ご飯を一緒に食べてくれる、

私と同じタイミングで赴任して来た同僚はいるが、

 

彼女は明るくて楽しい側の先生なので、

中心メンバーともいつも飲みにいったりしてるし、

私とのご飯会も、「数多い同僚とのご飯会のひとつ」でしかない。

 

 

私は彼女以外にご飯に行ける人がいない。

 

 

彼女は、とっくに、中心メンバーの先生たちに溶け込んで、

楽しそうに、のびやかに仕事をしている。

 

 

 

すごいなあ。

 

 

 

みんな、どうやって、

そんなに楽しそうにできるの?

 

 

 

どうしたら、

みんなと仲良くなれるの?

 

 

私、どこをなおしたらいいの?

 

 

何をするにも、

中心メンバーの先生たちの

おこぼれをありがたくもらっている、

そんな気持ちになる。

 

 

小学校のときくらいから、

ずっとそんな気持ちをもっていた気がする。

 

 

世の中の中心の人が、

お情けでくれた青春や、充実感のおこぼれをもらって、

私は作り笑顔で生きているような気がする。

 

 

自分が中心で、

誰かを動かして、巻き込んで、

楽しく過ごしてきたことなんて、

これまであったかなあ。

 

 

3人組だと、

いっつも2人と1人に分かれる方の

1人の方になるし。

 

 

 

自分の性格を変えるのは無理だろうけど、

自分が無理しないでいい、

居心地のいい場所で過ごしたい。

 

 

今日は長々と書いてしまった。

 

 

うすうす気づいてはいたけれど、

こんなに自分にカリスマ性やオーラが 欠けているとは知らなかった。

 

 

普通の友達くらい、できると思ってたけど、

大学のときはまだ友達が作れてた気がするのだけど、

仕事してからは、全然だ。

 

 

 

お情けでもらう優しさではなくて、

対等に築く人間関係が作れない。

 

 

もともと人の感情に敏感だからか、

相手に軽んじられていたり、

疎まれていたり、下に見られていることが 

どうしたって手に取るようにわかってしまうのだ。

 

 

なるべく、人に話しかけない方がいいのだろうか。