よい子のやめ方〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

型にはまることもはまらないことも目指さない夫婦になるために

結婚する前、付き合い出してわりと最初のころ

 

私は今の夫に

 

適応障害で休んでいたことがある」 

 

「今後、本当に教員を続けられるかわからない」

 

と打ち明けた。  

 

彼は、

 

「俺も転職したことがある。

 

前の仕事が忙しすぎてつらかった。

 

体を壊してからでは困ることもあるから、

 

壊れる前に休むのは大事だよ。」

 

と言ってくれた。

 

 

この答え方に

 

私には2つの感想をもった。

 

ひとつは、

 

「この人は休職者や鬱になっても、

 

世間体を気にして私を攻めたりしないだろう。

 

偏見をもって私を攻撃することはないだろう」

 

ということ。

 

二つ目は、

 

精神疾患にある程度理解を示してくれるということは、

 

世間体や「あるべき家庭」にとらわれない

 

柔軟性があるかも。

 

今後も、子どもができなかったり、

 

家事代行サービスを使ったり、

 

両親との同居を断ったり、

 

古い良妻賢母的な人物の行いをしなくても

 

大丈夫そうじゃないか」

 

ということ。

 

 

 

さすがに二つ目は、

 

思った通りにはならなかった。

 

たぶん、子どもが産まれたら  

 

「子育て手伝うよ!」と

 

言っちゃうタイプの人だろう。

 

そこは言葉で伝えていくしかない。

 

でも、この発言の何が悪いのかを

 

女性から教わらなくても認識できる男性は

 

相当家事スキルやコミュニケーション力のある人だと思うので、

 

たぶん普通の男性には難しいのだろう。

 

残念なことだけど。

 

 

まあ一つ目のポイントはクリアしているので、

 

言葉でしっかり伝えれば

 

ジェンダーにとらわれない思考を

 

後天的に習得できるだろうと

 

期待しているけれど、どうだろう。

 

 

 

子どもが欲しいかと枯れ尋ねたら、

 

「ほしい。

 

でも、あなたが欲しくないなら

 

無理にとは言わないよ。」

 

とのこと。

 

なんだか他人任せにも聞こえる。

 

ただ、世間体を気にして

 

私の嫌がることを押し付けたりはしないだろうと思えて

 

少しほっとした。

 

 

 

世の中には、

 

結婚して子どもがいないことに

 

気後れするから子どもをつくりたいだの、

 

夫側の両親が望むから

 

子どもをつくりたいだの、

 

わけのわからないことを言う人が

 

たくさんいるらしい。

 

恐ろしいことだ。

 

 

 

ただ、私の気を付けないといけないことは

 

「かつての良妻賢母的な女性のあり方に

 

疑問をもっていることがかっこいい」

 

「だから、子どもが産まれたら

 

仕事をやめたりする女はカッコ悪い」

 

「夫の実家、親戚付き合いをするのは

 

古い女性の生き方でカッコ悪い」

 

と、変に過激な方向に思考がとぶことだ。

 

そして、それは

 

本当に私が自分のしたいこと、

 

欲しいものではないにも関わらず

 

変に過激な思考にとらわれて

 

本来の希望とは違う選択をしてしまうことになりかねない。

 

 

 

 

 

子どもをつくることとか、

 

親戚付き合いすることとか、

 

専業主婦になることとか、

 

それ単体では、単なる人生の1つの選択肢にすぎない。

 

なのに、

 

それを選んだ自分はどう思われるか、

 

それを選んだ自分は、なりたい自分像と

 

かけ離れてしまうのではないか、

 

と思い過ぎてしまうと、

 

自分軸で物事を決定できなくなるおそれがある。

 

 

 

 

 

「良妻賢母であらねばならない」のは

 

間違いなく刷り込まれた価値観である。

 

でも、自分が家事が好きで

 

結果的に「良妻賢母」っぽい生き方が

 

私にとって幸せにかんじられるなら

 

別にそれでいいのだ。

 

人に、相手に強制しなければ、

 

別にかまわないのだ。

 

 

なのに、私という人間は

 

良妻賢母型を批判するあまり

 

わざとまずい料理を作ったり、

 

あえて部屋をきれいに片付けなかったり、

 

子どもが嫌いな女アピールをしてしまうなど、

 

無意識的に良妻賢母じゃないことを

 

やっちゃってるんじゃないかと

 

最近思うようになってきた。

 

 

どうやら私は

 

「良妻賢母型」の女性と

 

「良妻賢母批判型」の女性と

 

ふたつの型のどちらかにはまらなけらばならない、

 

特に、後者にはまらなけらばならない、と

 

強く思い込んでいるらしい。

 

 

 

なんだかポイントを間違ってる

 

フェミニストみたい。

 

 

 

フェミニズムのねらいは、

 

いわゆる「女性らしく」あることを

 

むやみやたらに攻撃しているのではなく、

 

ジェンダーに縛られず

 

男性も女性も自由に意思決定をすること」

 

であるはずだ。

 

 

私はリベラルな母に育てられたせいか、

 

どうしても、良妻賢母を攻撃する思考に

 

とらわれてしまっているらしい。

 

(と、母のせいにしてみた

 

でも母の影響は大きいと思う。)

 

 

 

 

夫婦生活も、

 

これまでよしとされた夫婦のあり方を

 

批判するだけでは、

 

結局自分軸で判断できない。

 

 

だから、結婚してからは、

 

これまでの価値観はいったんわきに置いて、

 

本当にそうしたいのか?

 

夫はそうしたいのか?

 

私はそうしたいのか?

 

二人にとって、嬉しい選択か?

 

を常に念頭に置いておくようにしたい。

 

 

子どもをもつこと

 

家事を分担すること

 

暮らす場所

 

子どもの育て方

 

たがいの両親とのつきあい方

 

 

 

それを私たちなりに

 

ひとつひとつカスタマイズしていきたい。

 

型にはまることをめざすこと、

 

逆に

 

型にはまらないことをめざすこと、

 

どちらにもとらわれないようにしたい。

 

二人はどう思うか、が判断基準だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信頼できるパートナーがいることは、

 

誰かとむやみに比べてしまいがちな自分や、

 

自意識でいっぱいの思考から 

 

ずいぶん自由になれたと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなことを言うととても失礼だけど、