よい子のやめ方〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

「自分がどう思うか」のトレーニング

年度末になると、

 

次の新学年の担任や学年所属、分掌で

 

どの教員がどこに配属するかをめぐって

 

あちこちで攻防戦が行われる。

 

この様子を生徒がみたら、

 

さぞ幻滅するだろうなと思う。

 

 

 

 

足を引っ張る先生たちは

 

どの学年もどの分掌も受け入れたくないため

 

さも正当らしく聞こえる理由をつけて

 

その先生を自分のグループから閉め出すために

 

校長、教頭に陳情をしにいくのだ。

 

だから、校長室には

 

ひっきりなしにいろんな思惑を持った教員が 

 

出たり入ったりする。

 

 

そして今日も

 

職員室のあちこちで悪口の嵐がおこった。

 

体育のA先生が、

 

どの学年もどの分掌も

 

受け入れ拒否をくらっているのである。

 

「あの人、絶対に同じ学年になりたくない」

 

「あの人に担任なんてまかせられない」

 

「あの人は副担任にも入ってほしくない」

 

「あの人と分掌なんて一緒にやれない」

 

などなどなど。。。

 

確かに、ウワサになっているA先生の言動は

 

人によってはカチンとくるから

 

毛嫌いする人がいても仕方ない。

 

 

 

そして、ふと思った。

 

 

私は、A先生が職員室でしゃべるとき、

 

「確かにこの人は、他の先生と合わないな」

 

「この人のふるまいは、

 

○○先生や○△先生にとって

 

失礼にうつるだろうな。」

 

「A先生、その発言はみんなを怒らせるよ~」

 

と感じてしまう。

 

そして今日、気づいた。

 

 

 

「私」は、このA先生をどう思ってるんだろう?

 

 

これまで生きてきて

 

場の空気を読むことが何より大事だと

 

体に染み付いてしまった私は、

 

誰かの発言やふるまいが

 

「まわりの人」「他の人」にとってどう見られるか

 

をいつも意識してきた。

 

その人の発言が場の空気をこわすときは、

 

「空気読んでよ~。

 

回りの人の感じてるA先生へのイライラが

 

私にも伝染してきてつらいよー」

 

も思っていた。

 

 

そして、

 

「そもそも、私はこの人のこと、どう思うんだろう?」

 

と意識してこなかった。

 

 

えらそうなA先生。

 

いつもしょうもない冗談ばかり言うA先生。

 

別に、その人が大好きではないけど、

 

大嫌いではない。

 

その人の発言を聞いて

 

まわりがどう感じるか、はなるべく横においといて、

 

「私」はどう思うか、を

 

意識するようにしよう。

 

 

 

自分の気持ちで決定するのが苦手だという自覚はあったけど、

 

それはいつも

 

「自分が他人からどうみられるか」

 

だったから、まさか

 

「ある人が他人からどうみられるか」

 

というところまで

 

他人目線を意識してるとは思わなかった。

 

その人自身に対する思いを

 

私が自分で決められないから

 

その人はまわりからどう評価されているか、

 

という他人物差しで他人を判断していたんだろう。

 

 

 

気づいてよかった。