よい子のやめ方〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

悲しめたことにほっとする

流産の悲しみが、

 

実は産休で仕事が休めなくなった悲しみと

 

混同しているのではないかと自覚してから数日。

 

別に、混同していてもいいんじゃないかって結論になった。

 

 

子どもがほしくてほしくて治療している人、

 

ほしくないのにできてしまった人、

 

妊娠を望んだらすぐできた人。

 

日本で裕福な生活をしているのに、

 

妊娠できない人。  

 

貧困にあえぐ土地で、

 

10人近く子どもを産む人。

 

 

 

妊娠については、

 

理不尽で不思議でわからないことばかりだ。

 

 

 

もちろん、心から子どもがほしくて 

 

親になる覚悟もあって

 

環境もお金も準備していて

 

子育てがしたくてたまらない人が

 

子どもをもつのが理想だろう。

 

 

 

でも世の中ってそんなにきれいにできてない。

 

あと、最近不妊治療のコラムなどを見て思ったのだけど、

 

「子どもいる人がうらやましい」って言う人の想定している「子ども」って、

 

赤ちゃんから小学生くらいまでなんじゃないかな。

 

 

 

コンビニでタバコ吸ってる中学生とか見て

 

「あ~思春期で悩む子どもに寄り添いたい!」

 

とか思わないもんね。

 

 

 

 

学校にいれば

 

憎まれ口をたたき、

 

机を蹴りとばし、

 

自転車でお年寄りを威嚇する

 

思春期まっただなかの高校生と接することになる。

 

こどもって、

 

最初かわいくたって

 

その先どうなるかわからない。

 

もちろん、荒れた青春を過ごしたのちに

 

見違えるように人生が変わる人もいるし、

 

才能を開花させる人もいるし

 

大抵はいつかは普通の大人になってくれる。

 

 

 

そう思ったら、

 

子どもを迎える環境も

 

子どもを望む動機も

 

すべて素晴らしく完璧である必要って

 

ないんじゃないか。

 

 

 

 

あと、私は

 

「子どもがほしいのは仕事したくないから」

 

という思考回路から

 

どうしても後ろめたさがあったけど

 

「逆に、

 

もし子どもができなくても、

 

仕事が楽しめたら

 

そこそこ楽しく生きていけるかも?」

 

と考えることができた。

 

 

 

仕事が楽しいかどうかが、

 

私にとってとても大切なことだったんだと

 

気づくことができた。

 

 

そして、

 

「仕事が楽しくなるように

 

自分の行動や環境を変えることができて、

 

更に子どもにも恵まれたら

 

一番幸せだな。」

 

と、二兎を追いたい気持ちも出てきた。

 

 

 

手術後に初めて生理もきたし、

 

体も少しずつ戻ってきてる。

 

 

 

今日、なにも事情を知らない先生から

 

「おやすみ続いてたけど、

 

大丈夫でしたか?順調?」

 

と聞かれた。

 

少し迷って、

 

「あ、言えてなかったんですけど

 

流産しちゃって」

 

 

相手の先生が困らないように、

 

敢えて明るい笑顔で答えた。

 

「胃腸炎になっちゃって」って

 

いうくらいのノリで。

 

そういうところ、

 

相手にあわせすぎてるんだよな。

 

悲しい顔してたっていいのに、

 

自分の気持ちより相手の気まずさの方に

 

同情してしまう。

 

 

 

私の大好きなマンガ、東京タラレバ娘

 

「33最の独身アラサーのカオリが

 

元カレのセフレになったあげく、

 

妊娠疑惑が出てしまって

 

あれこれ考え悩みまくり、

 

セフレに子どもができたかもと報告するが

 

結局生理が遅れていただけということが発覚する。」

 

というシーンがある。

 

そのときの台詞で

 

独身アラサーのカオリは

 

「今、悲しいのかホッとしているのかわからない」

 

と泣き出してしまう。

 

「みっともない感情をコントロールするために

 

カオリは感情に保険をかけた。

 

ずっとそうやって生きてきた。

 

でもそんなことをしているうちに

 

自分の本当の感情がわからなくなってしまった。」

 

 

というナレーションが入る。

 

 

 

 

私も、自分の感情、人からどう思われるのかと

 

自意識をこねくりまわしたあげく、

 

自分が流産して悲しいのか、

 

もうすでに乗り越えているのか、

 

よくわからなくなっていた。

 

 

 

通勤の途中で、雨が降った。

 

雨の匂いをかぐと、また1つ季節がめぐってきたことを感じる。

 

期末試験も近い。

 

ああ、本当だったら、

 

一学期の期末試験が終わったら、

 

私、仕事から離れる予定だったんだ。

 

お腹の子どもは、何㎝になる予定だったんだろう?

 

ふとそう思ったとき、

 

泣くことはもうないけれど、

 

やっぱり、悲しいなって思った。

 

最後のエコーを思い出す。

 

手と、小さな小さな足のあった赤ちゃん。

 

季節がめぐって、予定日の秋になったら、

 

きっとまた思い出すだろう。

 

そして、

 

「ああ、ちゃんと私悲しかったんだな」

 

とおもえて少しほっとした。

 

 

 

最近は仕事も少し落ち着いている。

 

きっと、仕事が落ち着いたからこそ

 

赤ちゃんのことを純粋に悲しめたのかもしれない。

 

 また赤ちゃんに会えたらいいな。