よい子のやめ方〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

好きな人しか救いたくない

先生になる理由って何でしょうか。

 

私は大学生のころ、

 

元高校教員の大学教授から

 

「苦しい環境の生徒に寄り添うことが大切」

 

と何度も教わりました。

 

「寄り添う」「共感」というワードが

 

世間にも定着し始めた頃だと思います。

 

その方は県内屈指の困難校に勤務され、

 

それでも生徒の背景を常に思い、

 

どこまでも生徒に寄り添う方でした。

 

 

 

私も、その方の困難校時代の話を聞いて

 

何度胸を熱くしたかわかりません。

 

 

不良に見えても、

 

非行に走っても、

 

問題を起こす生徒であっても、

 

必ず背景があり、

 

一番苦しんでいるのは生徒本人なのだと知り、

 

彼らに寄り添える教員でありたいと

 

心から思っていました。

 

今から思えば信じられませんが、

 

目標とする人は「夜回り先生」でした。

 

 

 

 

 

そして今。

 

困難校ではないけれど、

 

落ち着いた学校とは言えない場所で働いている。

 

 

 

生徒指導、進路指導、部活指導。。。。

 

 

 

注意すればふてくされる生徒に心を削られ、

 

なんでこんな思いをしないといけないんだろう

 

なんでこんなに軽んじられるんだろう、

 

と理不尽さを感じる毎日。

 

生徒指導も学習指導も担任も 

 

上手にまわしていく先生に嫉妬しつつ、

 

でもそんなふうになるための

 

努力をする熱意ももうなく、

 

どこかずっと疲れたままで

 

日々、何事もなく過ぎればいいのに、

 

と思うだけ。

 

 

 

 

私が助けたかった生徒って、何だろう。

 

私が寄り添いたかった生徒って、  

 

どんな生徒の事だったんだろう。

 

 

 

 

改めて考えてみた。

 

 

 

 

私が想定していたのは、

 

勉強が苦手でわかりたいと思って努力している子、

 

家庭環境が複雑で、苦しんでいて助けを求めてくる子、

 

大人しくて、言いたいことが言えない子、

 

不良だけど、傾聴姿勢を見せれば心を開いて改心してくれる子。

 

 

 

要は、

 

「私の言うことを聞いてくれて

 

ほしい反応をくれる都合のいい弱者」

 

としての生徒だったのかも。

 

 

 

実際に働いてみると、

 

①勉強が苦手でわかりたいと思って努力している子

そもそも勉強が苦手だから

 

わかりたいというモチベーションがなく、

 

補習に誘っても来ない。

 

解説してもすぐに飽きてしまう。

 

そして現実として低学力の生徒に

 

高校の学習内容を教えるのは

 

焼け石に水すぎて、やっていて悲しくなる。

 

確かに、勉強してもしなくても

 

この子には同じかもしれない、と思う。

 

 

 

②家庭環境が複雑で、苦しんでいて助けを求めてくる子

そもそも彼らは

 

大人は信用できないと決めていて

 

私レベルの程度の人間に心は開かない。

 

自分の家庭の事を相談することもなく、

 

心配されることも極端に嫌がるので

 

こちらも次第に腹が立って

 

「じゃあもう好きにしてくれ」と

 

投げ出す。

 

 

③大人しくて、言いたいことが言えない子

そもそも言うこときかない生徒の対応で

 

すでに心が削れてしまっていて、

 

大人しい子の気持ちを汲み取る余裕がない。

 

ないがしろにしてしまって申し訳ないと

 

心の中でいつも謝る。

 

むしろ、余裕がなくて

 

おとなしい子の顔すら覚えられない。

 

 

④不良だけど、傾聴姿勢を見せれば心を開いて改心してくれる子

不良は強い人間に憧れるので私なんか眼中にない。

 

傾聴する優しいだけの先生よりも、

 

体がデカかったり、強面感のある人の方が

 

言うことを素直に聞くし心にひびく。

 

私の「寄り添う姿勢」なんか  

 

相手にもしない。

 

そして私は不良だったことがないので

 

彼らの「他人に迷惑を堂々とかけながら生きる」

 

という思考回路もわからないし、

 

むしろそんな人の被害にあってきた側なので

 

感情移入できないことが多い。

 

 

 

⑤番外編

 

事情を抱えた生徒に好かれることがあるが

 

大抵クラスでかなり浮いていたり、

 

対応を一歩間違えばリストカットしたり、

 

統合失調症があるなど

 

私の手に負えない背景があって

 

私の方が心疲れて距離を置いてしまう。

 

 

 

こんな感じ。

  

 

それでも、たまに楽しく会話できる生徒もいる。

 

時には言い合いにもなるけど、

 

信頼関係を結べる生徒もいる。

 

それは

 

「困っているときに

 

困っているから助けて!と

 

素直に態度で示せて、

 

人懐っこくて、

 

勉強もそこそこ好きで

 

大人の言うことを聞いて

 

自己主張したとしても、

 

こちらを不快にさせない程度で

 

アドバイスをちゃんと聞いて

 

教えたことを身につけて変化して

 

悪いときにはごめんなさい、

 

何かしてあげたときにはありがとうが言えて

 

なんだか話していて

 

守ってあげたくなる生徒」

 

である。

 

 

 

そんな生徒、誰だって好きになる。

 

誰だってクラスにいてほしい。

 

誰だって指導できる。

 

 

 

 

「公立高校である以上、

 

そもそも学校である以上、

 

自分の好きな生徒だけ指導する

 

というのは許されない。」

 

と思って、

 

自分の力のなさや適応能力のなさに

 

毎日がっかりしていた。

 

 

 

 

 

けれど、心の奥では

 

どうしても関わりたくないタイプの生徒もいる。

 

だから、発想を変えたい。

 

 

 

 

好きな生徒だけ指導できる学校に行けばいい。

 

分かりやすいのは、

 

高度な授業をしたい場合。

 

もし専門的な授業がしたいなら、

 

有名私立高校の採用枠を探して

 

そこに実力で入ればいいのだ。

 

 

そこには、  

 

学校費、修学旅行費を滞納する家庭対応で

 

心を削られることもあまりないだろうし

 

授業中にお菓子を食べたり化粧をする生徒に

 

いちいち注意しなくてもいいだろうし

 

授業中立ち歩く生徒を座らせてまわったり、

 

自主早退を防ぐために

 

校門前に立つ当番もやらなくていいだろう。

 

 

 

でも、私は有名私立に入って

 

高度な授業がしたいわけではない。

 

 

 

心のどこかには、

 

やっぱり、うまくいかなくて

 

それでも頑張っている生徒に寄り添って

 

一緒に成長したいというのが

 

先生をやりたい理由だという気持ちがあるからだ。

 

ターゲットはひどく限られているけど。

 

 

 

じゃあどうしたらいいんだろう?

 

その小さなターゲットが集まる学校を

 

リサーチするしかない。

 

 

 

今から不良を好きになったり

 

強面になったりムキムキになったりするのは

 

やっぱり無理だから、

 

私が「助けたいと思える生徒」が

 

集まるところを探すしかない。

 

そして、そんな私を欲している場所を

 

探すしかない。

 

 

 

 

お金持ち用の不動産会社と

 

大学生用の不動産会社が違うように

 

相手にするお客さん(学校なら生徒)を

 

教員も選んでいけばいい。

 

 

 

昔は生徒のために自己犠牲してなんぼだと思ってた。

 

でも、そんなことしたら心も体も壊れてしまう。

 

夜回り先生も、

 

生徒を助けたいと思う以上に、

 

そういう生徒が好き、

 

言い換えるならば

 

もはや執着に近いものがあるのではないか。

 

 

 

 

純粋な「正義感」だけで人は救えない。

 

自分がやっている仕事そのものを、

 

好きだと思っていなければ。

 

だから、私は生徒を選ぶことにした。

 

 

 

 

好きな人としか友達にならないみたいに、

 

私は自分が救いたい人しか救わない。

 

救うというのがおこがましければ、

 

寄り添いたい人、

 

寄り添って楽しいと私が思える人しか

 

寄り添わない。

 

 

 

 

 

 

最近は、それでいいんじゃないかと思っている。