よい子のやめ方〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

私にはたぶん感情の増幅弁がある

ものすごく心配だったり、

 

不安だったりして、

 

ものすごくハラハラしているのに、

 

実際に物事が過ぎてみると

 

意外と大したことがなかったり、

 

取り越し苦労だったりすることが

 

私には本当に本当に本当によくあります。

 

 

もしなにか失敗したとしても、

 

他人から見ると

 

「えっそんなことくらいで落ち込むの?」

 

というようなささいなことだったりします。

 

 

長年の分析で、

 

これは自分のプライドの高さゆえに

 

理想と実力の差を過剰に悲観していること、

 

生活のほとんどを他人軸で判断してきたため

 

自分軸がまだ確立しておらず、

 

自己肯定感が低く、

 

人に嫌われたくないと思ってしまい

 

人に合わせた行動でストレスをためること、

 

この2つが原因なのだとわかってきました。

 

 

 

そして、前々から感じていたのですが

 

私には

 

「感情をむやみやたらに増幅する弁」

 

とでも言う機能が

 

どこかについているように思うのです。

 

 

 

 

客観的に見たら、

 

大したことないことでも

 

自分の中で勝手に大事にふくらませて

 

その不安やプレッシャーに押し潰されてしまうのです。

 

 

 

例えば結婚式のスピーチで緊張する人がいますが、 

 

結婚式のスピーチなんて

 

ほとんどの人は忘れてしまうし

 

なんならみんな料理が気になって聞いてないし

 

新郎新婦ですら

 

緊張で聞き流しているんじゃないでしょうか。  

 

でも、スピーチする側は緊張するのです。

 

手にかなりの汗をかいてしまったり、

 

冷や汗が出たり、震えたりする人もいます。

 

話す人と聞く人の気持ちに

 

なんと差があることでしょうか。

 

 

テレビの生放送だってそうです。  

 

中継がつながらなかったり、

 

アナウンサーが失敗したり、

 

予定していたことができなかったりして

 

放送中にてんやわんやになったりする。

 

でも、テレビなんて

 

みんな暇潰しに見ているんですから

 

アナウンサーが間違えようが

 

芸人がスベろうが

 

コーナーがひとつつぶれようが

 

どうだっていいわけですし、

 

誰も気にしないわけです。  

 

でも、番組制作側や出演者は

 

予定外のハプニングで冷や汗をかいたり、

 

ギャグがスベって落ち込んだり、

 

先輩に叱られたりしてしまうんでしょう。

 

 

 

あのオリンピックだって、同じです。

 

ラソンが何時に始まろうと、

 

何月にやろうと、

 

選手たちや当事者以外は

 

別にいつだっていいと思ってる。

 

テレビですら、オリンピックですら、

 

そうなのに。

 

 

 

なのに、なのに、

 

私は自分の授業が不安で仕方ない。

 

出席とるときに失敗したらどうしよう、

 

DVDが動かなかったらどうしよう、

 

プリントの穴埋めを間違えたらどうしよう、

 

生徒に嫌われたらどうしよう。。。。

 

テレビやオリンピックに比べて、

 

こんなちっぽけなことなのに。

 

 

 

 

昨日は不安で2時まで眠れませんでした。

 

 

 

本当はわかっているのです。

 

授業で失敗したくらいで

 

誰も授業のことなんて覚えてないし

 

誰も傷つかないし

 

何にも怖いことはない。

 

むしろ、私の授業は「わかりやすい」と

 

言ってくれる生徒だっている。

 

リラックスしてやればいい。

 

 

 

 

頭ではわかっているのに、

 

脳のどこかに私の感情を勝手に増幅させる弁があって、

 

その調節がうまくできないと

 

「不安」という感情が実態と関係なしに

 

どこまでもどこまでも膨れ上がってしまう。

 

これは、「怒り」も同じ。

 

 

 

ある生徒について嫌な思いをした場合、

 

「あのときああ言い返せばよかった」

 

「あのときも傷ついた」

 

と、過去の怒りや仮定の怒りまで引っ張り出して

 

感情がどこまでも増幅されてしまう。

 

自分一人では止められない。

 

 

こういうとき、夫や友人や同僚が

 

「大したことないよ」

 

「困ってるの?一緒にやるよ」

 

と言ってくれたりすると、

 

感情の増幅はいっとき止めることができる。

 

 

 

私のイメージでは、

 

もともとある不安や怒りの感情が

 

どこかで水道の蛇口を全開にするみたいに

 

勝手に増幅されて

 

心に垂れ流されるような気分になる。

 

 

 

これは日曜の夜や、連休明け直前の夜に起こる。

 

 

 

ちょっとしたことでも、

 

乗り越えられなくなって

 

不安になって、

 

全部をゼロにしたくなる。

 

例えば、退職したり、別れたり、離婚したり、自己破産したりして

 

すべてをリセットしたくなる。

 

 

今は夫がいてくれるのと、

 

昨日の夜に友人と会えたことで

 

かろうじて感情の増幅弁をとめ、

 

適切に機能する

 

(実態に合ったサイズの不安感にとどめる)

 

ことができたように思う。

 

やっぱり、不安を消すことはできないから。

 

 

 

 

夫には、寝る前に

 

「失敗しても大丈夫だよって言って。」

 

「明日、電車に乗って

 

出勤するだけでも花丸だよって言って。」

 

と、生きることへのハードルを下げる言葉を私から要求し

 

無理やり励ましてもらったおかげで

 

少しだけ気持ちがやわらいだ。

 

 

 

そして、今日。

 

副担任クラスの朝礼に参加して、

 

生徒の顔を見るだけでも

 

動悸が止まらなかった。

 

怖い、怖い。

 

でも何が怖いんだろう?

 

わからない。

 

心のどこかで

 

「たかが朝礼に出席するだけだよ。

 

大丈夫だよ。怖くないよ。」

 

と冷静に私を落ち着けようとする

 

もう一人の私がいて、必死に耐えた。

 

 

 

休み明けは、

 

これまでなんとか慣れてきたものが

 

いっぺんにまた苦手化してしまうので

 

大したことのない業務でも

 

緊張をほどくのに一苦労する。

 

 

 

今日1日、朝礼の参加、授業、宿題管理など

 

日常の業務をこなす間、ずっと

 

「ああ、もう嫌だ。失敗するかも。」

 

と過剰にとらえる自分と、

 

「やってみたら案外できるものだから、

 

大丈夫だよ。落ち着いて。」

 

と、感情の増幅弁を

 

調整してくれる冷静な自分とが

 

頭の中でいったり来たりしていた。

 

 

 

結果的に、

 

今日は忙しくはあったけれど

 

やらねばならない仕事はだいたい終わったし

 

昼寝する時間も少しあった。

 

授業も、二回くらい生徒を笑わせたりした。

 

 

 

だから、本当はわかっている。

 

案外、やればできる、ということを。

 

でも、やる前は緊張して緊張して

 

朝は吐き気までするくらいだった。

 

 

 

妊娠が続いていたなら、

 

今日はもう、来なくてよかったのに、とか、

 

ああ二学期は12月まであるのか、

 

あの行事も、この行事もやらなきゃ、

 

いやだ、やりたくない、

 

行事に参加しない生徒を焚き付けたり、

 

行事で雰囲気が悪いクラスにいないといけなかったり、

 

クラスの空気が淀んでいくのを見るのはいやだ、

 

本当は今、ここにいなくてよかったはずなのに。。。。

 

 

 

と、今日のことだけではなく

 

未来のこと、

 

流産のこと、

 

後悔しても仕方ないこと、

 

不安に思っても今どうしようもないこと、

 

果ては、弱気な自分がダメなのだ、と

 

どこまでもマイナスな感情が

 

広く、深く増幅されて、

 

朝は本当に辛かった。

 

校門をまたぐ直前が一番辛かった。

 

 

 

宿題をチェックしたりだとか、

 

生徒への連絡をしたりだとか、

 

極めて単純な作業についても

 

マイナス感情がまとわりついて

 

おっくうで辛くて辛くて仕方なくなる。

 

たかが、プリントの名前を見て

 

帳簿に丸をつけるだけじゃないか。。。。

 

こんなこともしんどくなるなんて。

 

 

 

 

これは感情の増幅弁の仕業だから、

 

騙されないようにするんだ、

 

と言い聞かせて今日1日が終わった。

 

 

 

 

この脳の中にある感情の増幅弁が

 

勝手なことをしないように、

 

「過剰に不安にならなくていいんだよ。」

 

と客観的に見られるように

 

注意しておかないといけない。

 

 

きっと、認知療法とかが

 

私には必要なんだろう。

 

 

 

昔、テレビで、潔癖症の人が

 

他人が触ったものは汚くて触れない、

 

という気持ちが押さえられず

 

お金すらさわることができなくて

 

帰宅してから

 

財布の中身をすべて石鹸で洗わないと

 

気がすまない、という事例を見た。

 

(お札って丈夫なんだね)

 

その人は病院に行って

 

人の触ったものを過剰に怖がらないよう

 

さまざまなトレーニングをつみ、

 

手すりをさわる練習、

 

床をさわる練習をし、

 

潔癖症がやわらいだと言う。

 

 

 

 

私にとって、

 

「床のトレーニング」は

 

何に当たるんだろう。

 

何度も授業をしたり、

 

生徒と話をしたりして

 

「思ったより生徒は怖くない」

 

と実感する体験だろうか。

 

 

 

何度も授業をやってきて、

 

最近は立ち歩いたり騒いだり

 

暴言をはいたりする生徒は卒業してしまったし、

 

最近の学年はちゃんと話を聞いてくれる。

 

私も、授業をしていて

 

だいぶ落ち着いてやれるようになった。

 

成功体験を積んでいるはずなのに、

 

なぜか時間があくと

 

また恐怖がよみがえってきてしまう。

 

何度成功体験をつめば、

 

この緊張から解放されるのだろう。

 

結局のところ、

 

私には「向いてない作業」なんだろうか。

 

 

 

 

どうか、二学期が始まってから

 

緊張して、狼狽して、

 

逃げ出したくなっている

 

すべての先生たちが

 

心穏やかにソフトランディングできますように。