よい子のやめ方〜高校教員をやめるまでの道のり〜

よい子の人生を送ってきたけれど、ふとこのままでいいのか悩んだあなたへ。一緒によい子をやめる練習しませんか?

私よりも自己肯定感の低い人の話

 私も相当に自己肯定感の低い人ではあるが、

 

職場には私をはるかに越えるレベルの人が一人いる。

 

 

彼女は、おそらく発達障害だ。

 

場の空気を読むのが非常に苦手であり、

 

人と話すときに距離が近く

 

生徒からも教員からも

 

冷ややかな目で見られていることがある。

 

 

彼女は幼い頃に複雑な家庭で育ち、

 

なかなか恵まれたとは言えない育ち方をした。

 

虐待されていたし、

 

話を聞くと家族の中には

 

まともな人は誰もいないような家庭だった。

 

虐待、暴言、ネグレクトの嵐。

 

(よくわからないのだけど、

 

人を人とも思わないような人たちが

 

結婚し、出産し、

 

成人まで子どもを育てあげることが

 

なぜ可能なのか本当に本当に謎)

 

 

 

話を聞くと、発達障害そのものよりも

 

この家庭環境こそが

 

彼女の自己肯定感の低さの原因なのだろう。

 

 

 

彼女は、私よりも少しだけ年上だが、

 

落ち着きがなく、

 

突然の予定変更や柔軟な対応などは

 

非常に苦手である。

 

でも、ものすごい読書家でもあるので、

 

高学歴だし博識だ。

 

 

 

でも、ただ賢いだけの人は

 

学校の教員という複雑な仕事は難しい。

 

 

特にうちのような学校では、

 

2歳児のような、

 

しつけのされてない犬のような生徒が1000人

 

朝から晩までわめいているのだから、

 

押したり引いたり

 

なだめすかしたり

 

授業ではお菓子で釣ったり

 

成績下げると脅したり

 

冗談をとりまぜたり

 

DVDや動画で音をならしたり絵を見せたり

 

ありとあらゆる手段を使わないと

 

こっちを向いてくれない人たちを相手にするのだから、

 

発達障害の人たちにとっては

 

非常にやりづらいのではないかと思う。

 

 

そして、多感な生徒たちは

 

空気の読めない大人に残酷だ。

 

彼女は、生徒によく

 

「授業わからない」「うざい」などと

 

言われるらしい。

 

 

 

彼女は非常に落ち込んでいて、

 

職員室に入ってくるなり

 

「私なんて、どうせいない方がいいんですよね」

 

「私なんて、授業も分かりにくいし

 

生徒にそんなこと言われて当然なんですよね。」

 

と何度も繰り返していた。

 

 

その場にいたまわりの教員は、

 

すっかり困ってしまった。

 

 

 

だって、

 

授業がおもしろくなければ、

 

少なくとも分かりやすいのでなければ、

 

うちの生徒はついてこられない。

 

授業が分かりにくいのは、教員の責任だ。

 

生徒との距離感がつかめず、

 

授業もおもしろいとは言えない教員に

 

精神年齢2歳児の生徒たちが

 

正直に感情のまま

 

気持ちをぶつけたとして、

 

何をどう指導したらいいのだろう。

 

「そういう言い方は傷つくから不適当だ」

 

と指導したところで、

 

「授業がおもしろくないし

 

先生空気読めなくて気持ち悪い」

 

とでも言われてしまったら、

 

(実際、ものすごく言いそうである)

 

さらに彼女は傷つくだろう。

 

 

 

 

 

そして、悪いことに彼女は

 

生徒という存在そのものは好きなのだ。

 

生徒に話しかけたくてしょうがないのだ。

 

生徒本人が、迷惑がっていようと気づかない。

 

延々と自分のことを話続ける。

 

確かに、生徒からは疎まれているかもしれない。

 

 

 

 

 

だから、我々もなんとフォローしていいのかわからなかった。

 

 

「そんなこと言う生徒はやっぱりダメですよね。

 

それは失礼です。」

 

と言おうものなら、

 

「いいえ、私なんて言われて当然の人間なので。」

 

「私なんて消えてしまえばいいんです。」

 

「私が全面的に悪いんです。」

 

「私が幼い頃にも、家族から

 

お前がすべて悪いと言われてきたので。」

 

と、怒濤のように話し出す。

 

こちらも、

 

そう否定されると何も言えなくなって

 

黙りこくってしまう。

 

彼女をかばおうにも、

 

彼女はそれを強烈な言葉で否定する。

 

 

それでいて、

 

「いやあ、先生そんなことない。

 

それは生徒が悪いんですよ。

 

先生の授業はおもしろいんですよ。」

 

と誰かがかばってくれるのを、

 

じっと全員の目を見つめて待っているのだ。

 

その視線が辛くて、みんな目をそらす。

 

だって、

 

確かに彼女の授業はわかりにくいし

 

生徒の気持ちもわからなくはないからだ。

 

 

 

確かに生徒の暴言は問題だけれど、

 

それを言い出すと彼女が即座に

 

「私が全面的に悪いんです」と

 

打ち消しにかかり、

 

話がまったく進まず、

 

もう話を切り上げてしまいたいのに

 

全然話が終わらない。

 

 

 

だからみんな、

 

彼女がかわいそうだなと思うのだけれど

 

正直、彼女と話をすることに

 

うんざりしてしまうのだ。

 

 

私もそう。

 

彼女と話していると、

 

いつまでもいつまでも話しかけられるので

 

帰るタイミングを失ってしまう。

 

何なら、帰ろうとすると

 

駅までついてこられかねないので、

 

トイレに行くふりやコピーをとるふり、

 

急に用事を思い出したふりをして

 

後ろからついてこようとする彼女をまくことすらある。

 

 

 

 

彼女のつらさはよくわかる。

 

自己肯定感が低いことがどれだけ辛いか。

 

誰かに

 

「あなたは価値があるよ」

 

と言ってもらっても、

 

どうしてもそれが信じられない辛さ。

 

それでいて、やっぱり誰かに

 

「あなたには価値がある」

 

と言ってほしいという気持ち。

 

 

 

 

 

私は彼女に何も言えなかった。

 

 

 

 

穏やかに職員室で和気あいあいと話してるところに

 

「私なんて消えてしまえばいいんです。」と

 

自分の精神不安定さを投げ込むように言い放ち、

 

慰めてくれる人の言葉を否定し、

 

それでいて、

 

「私のもっと納得できる慰めを誰か言いなさいよ」

 

とでも言わんとする目付き。

 

 

 

例えば、

 

顔のキレイな人が

 

「自分の顔に自信がもてない」と言ったら

 

まわりの人は全否定してくれる。

 

でも、ちょっとブスな人で

 

性格も悪くはないけれど

 

さりとて誉める場所も少ない人が

 

「私ブスで生きてる価値がないから」と

 

ちらちらこちらを伺うように見ていたら、

 

何も言えないのと一緒だ。

 

 

私はいつも、

 

彼女が自己肯定感の低さをこじらせているのを見て、

 

自分もこうなのかと

 

冷めた気持ちになることがある。

 

 

彼女は私だ。

 

私がこのまま自己肯定感の低さをこじらせると、

 

行き着く先は彼女のようになるのだろう。

 

 

 

そして私も、

 

夫や友人や家族に

 

「私は生きる価値がない」と泣きながら、

 

それでいて、

 

「もっと私が気持ちよくなれる慰めを

 

提供しなさいよ。

 

私が納得できるような

 

私のいいところを言いなさいよ。」

 

と要求していたのだろう。

 

 

 

よく、友達をなくさなかったものだ。

 

 

 

私はとても苦しかった。

 

彼女が、

 

もしものすごい天才だったなら。

 

彼女が絶世の美女だったなら。

 

彼女が芸術家だったなら。

 

 

「あなたは例え万人に理解されなくても

 

素晴らしい人材だから気にするな」

 

と、堂々と言えたのに。

 

 

彼女は、おそらく教員に向いていないのに、

 

先生という仕事が好きなのだ。

 

空気は読めないし、

 

授業も独りよがりなのに、

 

高学歴で生徒と話すのが好きで

 

先生を続けたいと思っている。

 

 

そんな彼女に、何を言ってあげられるのだろう。

 

 

こういうとき、

 

人と比べて価値があるかないかではなく

 

自分という存在そのものに価値がある

 

と思えなければ、辛いだろう。

 

 

誰よりも頭が悪かろうが、

 

不器量だろうが、

 

空気が読めなかろうが、

 

存在そのものに価値があると信じるのは

 

自己肯定感が高まる育ち方をしないと

 

難しい。

 

大人になってからその思想を獲得するのは

 

相当な至難の技だと思う。

 

 

 

結局、この日彼女は

 

誰もがシーンとなって

 

彼女をかばうのをやめたのを見届け、

 

最後の最後まで(かなりの時間)

 

慰めの言葉を待っていたけど

 

30分ほどしてあきらめて帰っていった。

 

 

彼女のいなくなった職員室は、

 

緊張がふっととけて

 

もとの和気あいあいとした空気に戻った。

 

 

そして何人かの人が

 

「あれ、繰り返されると

 

こっちも結構きついんだよなー」

 

とぼやいていた。

 

私も思わず肯定した。

 

だって、本当にきつい。

 

自己肯定感が低い人とずっと話すのって、

 

本当にしんどい。

 

 

そして、かつて、いや、今も

 

私は自己肯定感が低い。

 

彼女の気持ちもわかるからこそ

 

余計に辛かった。

 

わかっていながら、

 

彼女に優しい言葉一つかけてやれない自分も

 

やっぱり悲しかった。

 

 

どうするのが正解なのかよくわからない。

 

 

とりあえず、

 

すごく辛いときは友達に延々と甘えず

 

ちゃんとカウンセリングに行こうと思った。

 

人の話を聞くのって、こんなに疲れるんだな。